30年勤続でボーナス休暇とお金が出た。
会社も味な事をする。
20年勤続の時は中国敦煌、
今回はヨーロッパだ。
そんな話をしたら娘が、
「行きたい!」
と言い出した。
ウイーン。
ハルスブル家が13世紀から20世紀まで統治し、
かっては、ヨーロッパの最大強国として威勢を振るったオーストリア、
二度の大戦で、今では北海道を一回り大きくした位の大きさに止まるが、
かって栄華を極めた文化の残影が其処此処に残っている。
その中心はウイーンだ。
映画「第三の男」の舞台の一つ、大観覧車、
下アングルからの映像に固唾を呑んだものだ。
昇り切った観覧車からのウイーンは緑が多い。
高層ビルは見えない、如何にも歴史の街だ。
目抜き通りも永世中立国の風景だ。
自由を謳歌し自由が闊歩する。
ベートーベンの小道。
ベートーベンが毎日散歩し、あの「田園」を作ったと言う小道だ。
ベートーベンが歩いたのは1828年、1991年の現在、
ウィーンの郊外にあったハイリンゲンシュタット村に当時の面影はない。
ゆったりと敷地を取った高級住宅地の間をを縫って小川が流れ、
小川に沿う人一人がやっと擦れ違うくらいの狭い道、
小川のせせらぎ、小鳥の囀りを耳にしながら緑の中を歩く、
ベートーベンになった気分だ。
ウイーンの見所は探しやすい。
見所の一つ一つに、
4枚の吹流しのような紅白の布に飾られた番号の入った飾り額がある。
詳細の地図にはその場所と番号が書いてある。
多分、此処はシューベルトの館の筈だが記憶が薄れた。
夜、ウインナーワルツの演奏会を聴く。
期待して来たオペラかバレー観劇、
残念ながら、この時期、国立オペラ劇場は休館なのだ。
冷房の効かない小劇場、
汗を拭き拭きの観覧だが、ウイーンはウイーン、
着飾った紳士淑女に交じっての本場のウインナーワルツは一味違う。
ウインナーワルツを聴いた後での
ウイーンの居酒屋での一杯は一味違うのだ。
・シュテファン大聖堂
歩き疲れてビヤーホールに腰を下ろす。
隣席はアイスランドからの三人連れ、教師仲間だとか、
「アイスランドは氷で覆われた国でしょ?」
と尋ねたら、
「冗談寄せよ」
と言う顔をして顔を寄せ合う。
みんなバイキングの末裔そのものの顔だ。
ヨハンシュトラウス像のある公園。
中央墓地
中央にモッツアルト記念像(彼の墓は別の所にある)。
入れ口で貰った案内書を眺めながら、かの人達の墓を捜し歩く。
ベートーベン、シューベルト、ブラームス、シュトラウス・・・・
数え切れない名立たる芸術家達の名前に、お墓に出っくわす。
未だに脳裡に焼きついている「第三の男」のラストシーン、
アリダ・バリが向こうから来て恋人を殺した男に一瞥もせず、
だんだん遠ざかってゆく後姿、
あの並木は健在だ。
此処に立ちたかったのだ。
映画ではもっと緑が少なかったような気がする。
ベルベデーレ宮。
これもお目当ての一つ、クリムトの「接吻」の前に長い時間佇む。
シェーンブルン離宮、
女帝マリー・テレジアが丹精込めた宮殿、
娘のマリー・アントアネットが少女時代を過ごした。
会議は踊る、の舞台でもある。
再び、目抜き通り、
人は変わっても自由は同じだ。
この右の写真、今回の旅で一番気に入った写真だ。
あれから10余年、彼女はもう恋をしてるだろう。
地下鉄を乗り継いで、
一目見たかったドナウの川ベリへ辿り着く、
ウイーンの中心街からそれ程離れていないのに、
東京の隅田川とは趣が違う、
川幅も広く水量も桁違いに多い。
期待したドナウの青、はそれ程青くは無かったが、
一寸歩くと川辺の彼方此方に藪にぶつかる。
緑がそのまま残っているのだ。
ドナウの夕日を確かめてウイーンともおさらばだ。
続く
ツェルマット
熟年の一人旅(欧州編)TOP
|