タイ・カンボジャ記10

2/19
ホテルは旧正月の客で一杯だ。
カンボジャで唯一のビーチのあるシアヌークビルへ押し寄せtて来るのだ。
この分だとビーチも人で一杯だろう。

絵葉書などを書く。
最近、絵葉書もトンと書いた事が無い。
一枚だけ書いて止めた。

2/20
タイで買ってきたインスタントコーヒー、不味い。
不味い不味いと言いながら毎日飲んでる。
日本から持参した昆布茶、これは優れものだ。

茹でたり冷やしたりするのが億劫で開かなかった日本蕎麦、
そんな話をすると、Sが腰を上げた。
お陰で、何日か美味い蕎麦にありつけた。

外が騒がしい。
日本で言う獅子舞だ。
野次馬根性が疼き出して側に近寄ってみる。







囃子(クリックしてみて下さい)は日本の囃子に似ている。
花火と囃子の競演だ。







心付けをする家の前で舞い踊る。

2/21
明後日、シアヌークビルを離れる。
バスのチケット、プノンペンの宿の手配、バンコク行きの航空券のリコンファーム、
簡単なようで仲々面倒だ。
まず、こうゆう事をやってくれる店を探さなければならない。
その店も、何時、開いているのか行ってみないと判らない。
行ってみて、英語のわかる係員が居るとは限らない。
それも、私の様なブロークン英語が解せる程の英語力のある人間は少ない。

それでも、何とか、バンコクへ戻る手配は出来た。
ただ、行ってみなくては判らない一抹の不安は残る。

マーケットの前に牛車が止まっている、水牛の牛車だ。





荷車一杯に素焼きの陶器が詰まっている。
ちなみに、この辺りで売ってる牛肉は水牛だ。
水牛の肉と普通の牛肉との違いは、
あのSが「歯を欠いてしまった」と言うほどの硬さだ。

アイスキャンデー屋、終戦後直ぐ、



やはり自転車で田舎の方まで鐘を鳴らしながら売りに来たものだ。

朝昼晩、行き付けのレストランは流行っている。



特に、お正月期間は坐る席が無い。
マーケットもそうだ。
ある時間帯、入れ口に車、バイタクが並び仲々中へ入れないほどだ。



一寸時間をずらすと嘘の様に静かになる。



一時は車、バイク、人でごった返す向こうのマーケットも、
嘘のように静かだ、昼寝の時間なのかも知れない。



此処の店はヴィデオとオーデオの店の親父さん、
毎日、この親父さんが格闘しているのは、
旧式のメカ、所謂ジャンクの再生だ、日本製も沢山有る。
配線図など無いのだろうが、毎日毎日、何か弄っている。
働き者だ。
店の両脇に積み上がった沢山のTVやオーデオ機器を見ると商売大繁盛なようだ。 
使用人も何人かいる。
早く、パソコンを取り入れればいいのにと思うが余計な心配だ。
多分、一年後にはパソコンが並んでいるだろう。
この親父さんは、プル・ポト政権の頃、
金の首輪の一粒づつを売って食い繋いでベトナムまで逃げ延びたそうだ。

旧正月も盛りを過ぎた様でホテルのオーナー夫妻が寛いでいる。



オーナーは華僑系、プノンペンで建設業をやってるとか、
奥さんは心優しいクメール人で料理好き、





三度三度の食事を一族郎党に美味しく食べさせるのが何よりも楽しいのだそうだ。
そんな奥さんに物足りなくて、
時々、お姑さんがプノンペンから活を入れにやって来るとか。

続く

   




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