チェンマイ記
得体の知れない日本人が多いチェンマイ
チェンマイ空港のリムジン案内所でガイドブックから拾った二つの宿を示すと、
「こっちの方が良い」
と生真面目そうな係員が一方を示す。
100B、少し割高かも判らないが奇麗な大型の乗用車、極めて快適だし安全。
宿はターペー門の間近なのに、閑静極まりない。
余計なものは無く素朴過ぎるが、清潔そのもの、
勿論、AC、温水付きだ、 1日300B、3日。
チェンマイはカオサンとは様子が違う。
まず、若者と中高年の比率は半々、白人が多い、それも、家族連れも目立つ。
1人で歩いている中高年は、一見、得体が知れない。
ターペー門の前に有る洒落たレストラン、
此所で毎朝、コーヒーとトーストのお世話になった。
このレストランの前に、毎日、5、6台の同じ顔のトクトクが並ぶ。
毎朝、人懐っこい笑顔で挨拶される。
その中でも一際笑顔の良い小父さんのトクトクで博物館へ、50B、が博物館は休館。
外側を写真に撮る、折から仏像の搬入中。
地図を見ると、近くに WAT JEDYARDと言う寺院が有る筈。
脳天からの陽射しの中を歩いて10分、
こんもりした林の中の古い仏塔、ここの壁に嵌め込んである有る仏像は気に入った。
(この仏像の写真は 、現在、ディスクトップ画面として毎日お目に掛かっている)
見物客は二、三人、地元の高校生らしい制服の男女が一組、ベンチで青春している。
木陰のビールも美味しい。
帰りがけに、もう一つのお寺、 VAT SUANGDORG、
歴代の皇帝のお墓とか、一寸、絢爛豪華過ぎる。
トクトクでターペー門へ戻る、10B。
チェンマイのナイトバザール
ターペー門からターペー通りを真っ直ぐ駅の方に1KMも行くと、右側にナイトバザールが開ける。
道の両側に露天が所狭しと立ち並ぶ。
500M程入った左側の奥にパーと広がったフッドショップ、一寸、入口が判りずらい。
舞台ではタイの古歌謡、踊り、白人が半分位、家族連れが多い。
セルフサービスで周囲の出店から食べ物、飲物を運んで来る。 生ビール40B。
ほろ酔い加減で、一軒一軒、露天を冷やかして歩く。 幾つか買物をする。
ブローチ1500Bを2個で1000B、Tシャツ250Bを3枚500B、笛180Bを100B、
首からぶら提げる物入れ250Bを5個で500B、最後はタイ式のメモ帳、
これは、250Bを5冊500Bにどうしてもならない、調子に乗り過ぎたようだ。
直ぐ近くではタイ式ボクシング、写真を撮ろうとしたら断られた。
チェンマイのバミー
毎日食べているバミー、店毎に味が違う。
ターペー門の堀の内側を、500M程北へ行ったところの屋台、
ここのバミーが一番美味しい、20B。
毎晩、通うようだ。
その途中の薬局に、ぶらりと寄ったら、娘に頼まれた例の胸豊剤があった。
これは550Bを500B以下に頑としてまけない。
暫く、様子を見る事にして、他を何軒か当たったが、無かったり、もっと高かったりで、
結局、その店で買う事になるのだが。
チェンマイが気に入った。
滞在を2日程延ばす事にして、タイ航空で日時変更。
乗物がだんだん判ってきた、三輪のトクトクは一寸乗ると30B、
それより一回り大きい4輪のトクトク?は、可成の距離を乗っても10B、
但し、こちらは乗合タクシーのようなもの、
路線は決まってないが、大体同じような方向に行きたい複数の客を乗せ、
一人一人の行先を廻る。
時々、たった一人の時もあるが、それでも、10B。
「さくら」
夜、フォーラムの方々にお教え頂いた大衆的な日本料理店「さくら」へ。
三々五々、中高年の日本人が屯している、彼等が噂のチェンマイ長期駐留の人達らしい。
旅行者風の日本人青年が二人、別々のテーブルでマンガを読み耽っている。
眼鏡を掛けたママさんらしい中年女性と、もう一人の女の子が忙しく立ち振る舞う。
日本語のTV放送から真新しい日本の情報が刻々と伝わる。
一日遅れの読売新聞を食い入るように眺める。
ほぼ2ヶ月ぶりの日本語放送と日本の新聞だ。
店の常連の中で一際若いSさん、彼は、今日、ゴルフをやってきたそうだ。
ゴルフ代はヴィジターで2、3000円、彼は25万円で会員権を買ったそうで、
プレー費は1000円。
チェンマイの屋台村
彼が、
「もう一軒案内しましょう」
と、バイクを引き出した。
「後ろに乗って下さい」
夜風を切ってバイクはものの4、5分走る。
広場を中心に屋台が2、30軒立ち並ぶ屋台村、
その一軒、7、8人の日本人がテーブルを囲んでいる。
一人一人を紹介される。 さっき、「さくら」で見た顔も四、五人交じっている。
「さくら」で食事してから此所に集まって来るようだ。
店の経営者のXさん、
「日本の会社を定年して、此方に移り住みました。
気候も良いし、治安も良いし、食物は美味いし、
何よりも物価が安いので、年金で楽々暮らせるのが最高です」
タイ人の雇われママさん、なかなかの美人だ。
もう一人の女の子は、今日、雇ったばかりとかで、オロオロしているようだ。
「人は買手市場だから、気に入らなければ、直ぐ、首にできるのです、人件費も安いし..」
ビール2本、150B。
チェンマイ博物館
TVと新聞を見ながら、昼食を「さくら」でゆっくり過ごす。
昨夜見た顔が、続々とやって来る。 皆、三度三度に近く、ここで食事をするらしい。
この間、休館だった博物館へ再挑戦。
ガラガラで、学生風が3人だけ。
仏像が多いが、それほど、観るべきものは無いようだ。
いや、名品が有るのかも判らないが、私は、野に曝され風雨に耐えている仏像の方に惹かれる。
入口の女性が可愛い、受付と切符切りと小さな売店の番をしている。
一寸、話し掛けてみる、 英語が通じない。 身振り手振りで、絵葉書、パスポート入を購入。
博物館を出ようとしたら、激しい雨、玄関で雨宿りしていると、
一人のおばさんが英語交じりに話し掛けてきた。
「今、車で迎えが来るから、乗せて行って上げる。何処まで行くの?」
「ターペー門」
「通り道よ」
と言ってるようだ。
スルスルっと乗用車が入ってきた。
おばさん、運転してきた男と話していたが、
「一寸用事を済ませて来るので、10分待ってて」
と出て行った。
待ってる間に、博物館が閉まる。 受付の可愛い子ちゃんも出てきた。
「其処まで送るから傘に入れば?」
と傘を差し出す。
理由を話して断る、良く理解出来ないのか、
怪訝な顔で事務所のような建物の方へ歩いて行った。
ポツリポツリと従業員が帰って行く、
この博物館の何処に居たのかと思うほど、結構な数だ。
殆どの人が車で帰る。
開館時間が9:00から4:00、月火が休館で、皆の給料はどのくらいなのだろう。
玄関前に物売りの車が来て笛を鳴らす。
別の建物から何人かの女が出てきて買物をする、お惣菜らしい。
さっきの可愛い子ちゃんが、また、出てきた。
1人になったところをデジカメに収める。 手招きすると、寄ってきた。
昨日見た女神像のように整った彼女の顔立ち、その美しさの半分も捕らえられない。
それでも写真を見せると、キャッキャッ喜ぶ、まだ 20前か、純真そのものだ。
「食事でも」
と口から出掛けたが、約束もあり、言葉も通じなそうなのでぐっと堪える。
車が戻ってきた。
運転しているのは、おばさんの息子さんらしい。
骨董品を扱っているらしく、座席には仏像が二つ転がっている。
「外国からの引き合いが多いのです」
英語が達者だ。
「その後ろに有る仏像は、オランダからの注文です」
とインボイスみたいのを見せてくれる。
「骨董品に興味が有るなら、店に寄りましょう」
と言う事になる。 激しい雨と渋滞の中、街まで4、50分も掛かる。
骨董品屋
ナイトバザールへ行く途中、何回か覗いた事の有る大きな骨董品屋、彼は其処の共同経営者らしい。
紹介してくれたもう1人の共同経営者はイギリス人だ。
広い店内を物色する、仏像が多い。
商品には皆、値札が付いていて、小物の値段を見ると、ナイトバザールよりも安い。
高さが1m程の木彫りのマリア像に触手が動く。
「日本へ送ってくれますか?」
「こんなもの、手で持って行けば良い」
と相手にしてくれない、イギリス人は、手荷物を苦にしない。
結局、小物を2、3求めただけでホテルへ戻る。
何時の間にか雨は上がった。
再び屋台村
夜、「S」に行くと、Sさんは今日もゴルフをやってきたとか。
また、バイクで昨夜の屋台村、今夜も大体昨夜と同じ顔ぶれだ。
リーダー格のAさん、70歳、痩身だが骨格はしっかりしている、
58歳でチェンマイに来て日本食堂を開いた。
当時は大衆的な日本食堂など数少なくて、以後、順調に推移してきたらしい。
「チェンマイに来て、ずっと働きどうし。 店も軌道に乗ったし、最近、自由が欲しくなって、
家も、店も、車もみんな女房にやってしまって、今は1人です」
彼が、近所の店から餃子を抱えてきた。
「これは純日本風の餃子ですよ、美味しいから食べてみて」
成る程、まさしく日本風の焼き餃子、中国では餃子は焼かないのが普通、所謂、水餃子だ。
タイではどうなんだろう、いずれにしても、久し振りの焼き餃子をコリコリと突っつく。
「まだ、店をやっていた時の癖が抜けなくて、直ぐ、世話を焼きたくなってしまうんですよ」
照れ笑いする日焼けした顔から覗く真ッ白い歯は、いかにも、頑丈そうだ。
彼の話は続く。
「下の世話までしてくれる看護人を月に2万円で雇えます、老人天国です」
「私を頼って来る日本の旅行者も多いのです」
「物価も安いし、治安も良いし、こんなに住み易いところは無いですよ」
風貌からしても、如何にも真面目そうで、面倒見が良さそうだ。
少し、日本語がおかしくなってるような気もする。
彼を慕ってチェンマイに住み着くようになった人も多い、とSさんが話していた。
再々度屋台村
昼間、ブラブラ過ごし、夜は「S」と屋台村、こんなパターンのチェンマイになった。
今夜は、Hさんと同席。
帰りがけに何時もの店でコーヒー、彼は体を壊していて酒は飲まない、60歳。
骨格逞しく、眼光鋭いHさん、話もすこぶる破天荒だ。
「以前は、ビール3ダース飲んだ事が有ります。 レミーマルタンなら2本開けました」
バングラディシュ、エジプト、東ドイツと外国暮らしが永かったようだ。
「女房は5人取り替えました。フランス人三人、日本人一人、タイ人一人です」
笑顔が爽やかだ。 どうも、金髪がお好みらしい。
「今までに約1000人の女性と関係持ちました。
エジプトに居た時は、飛行機でキプロス、ギリシャまで女を漁りに行きましたヨ」
「100万円の月収を全部、女と博打に注込んじゃいました」
「日本に私を待ってる女が居ます。 まだ30歳、可哀相だから、間を置いています」
「子供は一人居ますが、交通事故で頭をやられて、これが心残りです」
何処か哀愁の漂うHさんの話は尽きない。
チェンマイには5日間滞在して、見物したのは、博物館と二つのお寺だけ。
名所旧跡よりも、
毎晩の「S」「屋台村」での日本人長期滞留の方々との出会いの方に
興味が移ってしまったのだ。
何らかの理由で日本を離れて来た人々、皆、所謂、日本での成功者では無いようだ。
しかし、どの顔にも安らぎが窺える。
逃避、卑屈、狡猾、は微塵も無い。
自由、諦観、怠惰、安息、安住、疲労、哀愁、老い、そんなものが入り交じり漂う。
ただ、どの顔にも、希望、夢が覗かれないのが、寂しいといえば寂しい。
いや、彼等は長年の夢を実現している真最中なのかもしれない。
チェンマイ記(完)