メコンに沿って(9)

ラオスへ入国

雨のメコンをラオスに渡る。
朝方、日が差していたのに突然のスコール、この雨の中を船、一瞬、不安が過ぎる。
ミグレーションでは、
大荷物の白人若者が、皆、自前で出国手続きをやっているようだ、



我々は、宿の男が全てやってくれる、その男に、
「ラオスの係員にリベートをやる」
と言われ、100バーツを請求される。
一列にしか坐れない艀が雨のメコンを波切って進む。
時折、艀の屋根から雨水が滝の如くに流れ出す。

ものの5分で、対岸のフェサイ、チェンコーンよりも港らしい港だ。
デューテイショップも幾つか並んでいる。
すぐ入国事務所、例の男が全てやってくれる、100バーツは安い。

 

フェサイ

港から階段を上がるとフェサイの街並みに出る。
と言っても家並みは100も続いていない。





、AC付きの部屋の有るホテルを尋ねると、
「あそこだけだ」
と指差されたのは、100メートル程離れた小奇麗なホテルだ。
「AC付きの部屋は満員だそうだ」
仕方なく、近くのホテルに入る。
3階の部屋しか空いてない。
3階に上がって扇風機を廻すとメコンの川風が心地よい。



少し歩くとラオスの田舎が広がる。



お宮らしい石段を上がる。

 

昨日過ごしたタイ側が一望できる。
滔々とメコンが流れる。




始めて会った日本人は沈香商人

例によって昼寝を済ませ、街へ、中国料理と看板のある食堂に入る。
通りでは一番大きな食堂だが、それでも丸いテーブルが5、6個の店だ。
中国人の経営、生け簀の鯰を蒸してくれた。
狭い店の客は我々以外に二人、
一人はイギリス青年、札幌で英語の先生をし終えて、
英国への帰り道だそうだ、日本語が巧い。
もう一人は得体の知れない中老の日本人、
チェンセン以降初めて会った日本人だ。
娘さんらしい女の子も一緒、
結局、五人がテーブルを囲んでの乾杯となる。

 

中老の日本人はUさん、Uさんが話してくれた。
彼は沈香の材料を買い集める為に、既に一ヶ月間此所に滞留している。
何かの木が死滅する時に、その木の成分が全てその根に集まり地中に埋もれる。
これは、この辺りの山地にしか採れない。
「これがその沈香です」
と、泥の附いた根っ子を何本か無造作にテーブルの上に投げ出す。
幽かに芳香が漂う。
後で、相棒が、
「あれだけの根っ子でウン十万円、いや、ウン百万円もするんじゃないかな」
と言っていた。

つづく