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メコンに沿って(6)
ワットプーとラオスの学生達


ホテルへ直行、直ちに、
隣のレストランでビール、甘酢煮の魚が飛び切り美味い。
店の前をバイクの若者が左右の行き交う。

いきなり凄まじいスコール、
空気の汚れや生温みを鎮め、冷やし、洗い流して、地に戻す。
これが何時も澄んだ空気の源なのだろう。
旧市街の真ん中にあるホテルの二階のテラスから、通りを眺める。
人通りは少なく乗り物が多い。
15分程数えてみた。

             午後1時頃         午前8時頃     
乗用車              2             2
バン               1             2
乗用トラック           5            10
ハイエース型         1             0
四輪トゥクトゥク        1             0
三輪トゥクトゥク        6             6
人力トゥクトゥク        2             0
自転車             5              2
客用バイク          1              5
バイク            38             37
トラックター          1             0
中型トラック          1             1
小型トラック          1             1
四駆              1             4
人                2             3

バイクが圧倒的に多い、ついでに、バイクを運転する男女を比べてみた。

午後1時頃 午前8時頃
20 14
12


バイクに乗る女性が目立つのが納得出来る。


崩壊の美、ワットプー

何軒か探してコダックの看板、やっと電池を見付けた、
4本36000キップ、絶対にまけない。
家に電話、1分14500キップ。

見残したワットプーが心残りだ。 ホテルの男が
「車をチャーターして上げる」
と言う、片道3時間で45$、35$で交渉成立。
昨日、戻って来た道をまた戻る。

運チャンの名前はカンバン君、車はトヨタハイエース、8人乗りに私一人の客だ。
カンバン君は英語が少し出来る。
「この道はバクセーからカンボジャまで続いています。
日本、中国、韓国の三国の共同出資です。」
三国が地域を分けて分担しているらしい。



中型乗用車が4台乗れるフェリーでメコンを渡ると、チャンバサック、カンバン君は
「此処がチャンバサックシチー」
と言った。
メコン沿いの一本の道の両側にギッシリ民家が詰まる、
と言っても、建平率の低い敷地だから、建物より緑の木々の方が多い。



往時を偲ばせる石造りの神殿跡、見事に朽ち果て尽くされている。
今迄見て来た遺跡の殆どは、
手間暇かけて修復されたものが多いが、ここは殆ど手が付けられていない。
観光客も疎らだ。

5、6世紀に栄華を誇ったクメール人が建造した
絢爛豪華を極めたであろう古代ヒンズー神殿も、
崩壊の美、とでも言おうか、
自然のままに崩れ去り自然に調和が取れるまでに至っている。

 





自然の雄大さと共に文明の卑小さえも感じぜずにはいられない。
長い参道から山の中腹に至る石段も所々が、大樹で遮られ、
長い間の風雨で左右に流れかけている大石もある。
フット気が付くと、今踏んでる足元の石段には、見事な彫刻の刻まれている。







崩れるままの大きな神殿のある頂上から振り返ると、
辺りの水田を潤したであろう広大な貯水池の後が広がる。
今でも使われているらしい辺りは水面が逆行に光り輝く。



幾人かの子供達が、赤、紫、白などの飾り物を手にして売りつける。

丁度、前後した学生風のグループが、
その飾り物を石仏に飾り、一心に祈りを捧げている。
飾り物と思ったのは線香だった。



7、8歳の女の子と4、5歳の男の子が登り口からずっと付いて来た。
一休みする毎に彼等が線香を差し出す。
始めは鬱陶しかったが、変に押し付けがましくも無く、
ただ、黙々と付いて来る様子にほだされる。
彼等に1000キップずつ渡して、線香を上げ、引き返そうとすると、
「こっちにも有るよ」
と、先に歩き出す。



 

薮を掻き分けて付いてゆくと、大きな岩穴に顔も定かでないほどの仏像、
更に付いていくと、
得体の知れない大きな石の建造物、
年長の女の子が一生懸命説明してくれるが判らない、
奈良の酒舟石に似ている。
更に行くと、岩其の物が等身大の像の彫刻、見事としか言いようが無い。



一回りして頂上の神殿に戻り、彼等に礼を言って石段を降りかかると、
彼等が袖を引っ張る。
さっきは気が付かない神殿の壁面に、女神の像だ。



 

 

豊かな胸を更に誇張している。
ここも、ここもと幾つかの壁面を案内してくれた。
良いガイドに巡り会った。
二人の名はポンとプー、案内料として1000キップずつ上げると、
この世では有り得ないような笑顔が返る。

ラオスの学生達

入口の茶屋でビールを飲んでいると、
さっき、石段の途中で前後した学生風のグループの一人の青年が話し掛けて来た。
日本語が出来る。
彼はバクセーに住んでいて、彼の弟がビエンチャンの大学に居る、
今日は弟の学友達を案内をしているのだそうだ。
夕方の帰り道、牛、豚、鶏、軍鶏、猫、犬、そして人間がぞろぞろと道に出て来ている、
その度に車はスピードを落とす。
全く楽しい。

チェンバサックの街を通り抜けようとした時、
大きな白人の青年二人の間に東洋人の女の子、
少し通り過ぎてから振り返ると、Yちゃんだ。
「わァー、Kさん! また、豪華な、この車、一人で借り切ったの?
私なんか、10$の部屋を三人でシェヤーしようとしてんのよ。
あれから,,,」
相変わらず、一人で喋っている。
「e−mail出すわね!」
「俺も出すよ」
我々と大体同じルートで動いているらしい。

フェリーの上で、また、ラオスの学生達と一緒になる。
「今夜、バクセーでビヤーパーテーをやろう」
と言う事になった。

彼の名前はチョン、映画俳優にでもしたいような端正な顔、
背もすらりとした筋肉質の体が締まっている。
そのチョンが車で迎えに来た。
ラオス風のレストランでは、既に、5人がキチンと坐って待っていた。
ミスラオスにでも成りそうな美人も、3人も。
三人の女の子は、ター、クー、ボクと言う名前、
あとはチョンの弟が二人、下の弟はまだ少年だ。

彼等の趣味を聞いてみた。
ターはTV、クーはSleep & eat、ボクはポピュラーミュージック、チョンの弟はTV、
日本の学生達とは一寸違うようだ。
皆、ビエンチャンの学生、建築が専攻とか、女性は酒に手をつけない。
強引に飲ませると、一つのコップで廻しのみを始めた、
ラオス風の飲みかたらしい、それぞれが乾杯して隣へ廻す。
場を仕切るのがボク、彼女がそれぞれの顔を見ながら酒の量を決めている。 
ほんの僅かな量だ。 料理が面白い。
日本のしゃぶしゃぶに似ているが、違うのは、
丸い鍋の周囲で野菜類を煮て、盛り上がった中央で焼き肉だ。
幾種類かの辛しの効いた調味料を付けて食べる。
肉に弱い私だが、これが又何とも言えない美味しさだ。











支払いをしようとしたら頑として押し切られた。
「それじゃー、もう、一軒行こう」
と、案内されたのは、いかにもバー風の店、踊ってる客も多い。

学生さん達は物珍しそうにキョロキョロしている。
彼等も何曲か踊っていたが、余り踊り慣れては居ないようだ。 冗談に、
「毎日、勉強ばかりしているのか?」
と尋ねると、彼等は冗談には受取らず、肯いた。
隣に坐ったチョンは結構お酒がいける。
強い酒をぐいぐいと気持ち良く空ける。
酒の勢いからか、前の席のボクを指差して突然言い出した。
「私は彼女が好きなのだが、彼女は私を好きではないのです。」
「本当なの?」
「いや、冗談です」
「彼女に、その冗談を話してみようか?」
「ハイ、構いません」
気配を察して、彼女が、
「何、話してるの?」
と問い掛ける。
彼が、こういう事を言ってるよ、と彼女に告げると、
「彼には一人の彼女が居ます」
此処にも、男女の葛藤が有りそうだ。



2軒目を支払うのに10$渡した、
お釣が無いところを見ると不足した様子、何回かチョンを突つくと、
「12$でした」
あと2$をどうしても受取らない、下の弟に上げる事でケリが附いた。
ホテルまで送ってくれた彼等が、車を下りて、一人一人握手してくれた。
「GOOD LUCK!!」
「YOU TOO!!」
たった一時の付き合いなのに別れは嫌なものだ。
闇の中に車が消えて行った。


とんだ勘違い

あと幾日ラオスでブラブラしようか迷っていて、ハタと気が付いた。
ラオス滞在ビザの有効期間は15日、今日は19日、5日にラオスに入っているから、
今日中にタイに入らないと厄介な事になる。
A−4の1ページにタイ国全部が入ってしまうような地図しか持ってない。
ずっと、用意周到な相棒におんぶに抱っこで来たので、一人旅の感が狂ったようだ。
タイの国境の街の名はチョンメック、これだけをしっかりと頭に入れる。
ホテル前でトゥクトゥクを拾い、
「チョンメック」
走り出すと直ぐ、
「此処だ」
と下ろされたのは、この間の船着場だ。

運チャンが、
「向こうからフェリーに乗れ」
と指差す。
人の群れがごった返す広い市場のような船着場の一番端にフェリー乗り場が有った。
丁度大型のフェリーが岸を離れたところだ。
向こう岸に見えなくなったフェリーが一時間ほどして戻って来た。
大型といっても青天井で、小型車が3台3列で満員、いろんな人が乗り込む。
物売りの女子達が何回も何回も廻って来る。
エンジンが掛り、船が動きだし、艀が上がりかけると、彼女達は一斉に陸に飛び移る。
建設中の大きな橋が向こうに見える。
2001年に完成だそうだが、それまで車社会がまってくれるかどうか。
1000キップ出したら500キップ返してくれた。
随分安い乗船料だ。

対岸に着くと、国境らしきものが無い、どうも様子が判らない。
何回か、指差して、
「チョンメック?」
「チョンメック?」
と確認しながら500mも歩くと、車やトゥクトゥクの溜まり場に行き当たった。
ここにも国境らしきものが無い。
脳天からの太陽に聊か疲れて、どうしたものか思案していると男が、
「チョンメックへ行くのか? タクシー、200バーツ」
と近付いて来た。 どうも、国境の街、チョンメックは未だ先らしい。
いきなり、キップからバーツでピンと来ない。
頭の中で計算すると700円くらい、思わず、
「OK」
を出して、車まで案内されてから、
「仕舞った!」
と思ったがもう遅い。

昨日のトヨタハイエースのイメージが有ったのがいけなかった。
20年も経ってるであろうCARMYだ。
二人に男が後ろから押してエンジンを掛ける。
寸断無くガタガタと軋む音、道が良いのに救われた、簡易舗装では有るが立派な道路だ。
スピードメーターなど、表示機は何も付いていない。
全ての標示器の場所は穴が空いて針金が飛び出している。
しかも、直ぐそこと思っていたのが、いつタイヤが外れるか、
扉が開くかの恐怖の一時間半、
あとから調べると150kmもあった。
エンジンは流石日本製、たった一回のエンコだけでチェンメックに辿り着く。


自由に出入れ出来る国境

迂闊な事に、ここまで来てやっと呑み込めた、此処は未だラオスだ。
バクセーからメコンを渡った対岸がチョンメックと早とちりしたしたのが混乱の始まりだった。
バクセーの直ぐ北側まで、
ラオスとタイの国境を流れて来たメコンはラオスの内陸に入り込んでいる。

広い駐車場を中心に、素朴な茶店、土産店が囲んでいる。
その後ろには小山が迫り、その小山に向かって一本の道が伸びている。
国境はその道を登った方向に有るらしい。
まだまだ陽は高い、どうやら、今日中にはタイに入れそうだ。
一軒の茶店の娘さんの愛敬有る笑顔に誘われて腰を下ろす。
生暖かいビールを飲みながら、主人らしい男ともう一人、気の良さそうな男とカタコトで話す。
殆ど通じない。
私が被っている葦で編んだ帽子をもの珍しそうに弄りまくる。
ゴールデントライアングルで買ったものだが、この辺りのものと格好が違う。
近くの店で、竹で編んだ小さなスチック、もち米入れを買って、
バッグにぶら提げる、 5000キップ。
料金払って、子供二人に小銭を上げて、歩き出そうとしたら、気の良さそうな男の方が、
「荷物を運んで上げる」
「幾ら?」
「5000」
男の後ろの娘さんが、三本指を立てる。
残っただけのキップを出して、
「これで良いか?」
4000キップくらいは有りそうだ。
「OK」
男は、傍らから荷車を引っ張り出す。
木の車輪の附いた奴、流石に最近の日本では博物館でしか見当たらない代物だ。

 

私が歩き出すと、
「違う、こっちだ、こっちだ」
と反対の方向へ行き出した。
彼の世話にならなかったら、とんだ方向へ行ってしまうところだった。
坂道を500mも行くと、山陰になっていて見えなかった国境の柵が見えてきた。
そのまま行こうとすると、男が左側の白い建物を指差して、頻りに何か言う。
出国手続を教えてくれたのだ、これは有り難かった。
無事に手続を終えると、柵、二本の丸太が立ってるだけの国境、
監視人が居たような居なかったような、何のチェックも無い。
柵を越えたところまで入って、男は荷物を下ろす。
残ったキップ全部とに1$を添えて上げる。