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メコンに沿って(2)
ゴールデントライアングル、メイサイ、チェンセン、チェンコーン

 7時に起きてテラスでトーストとコーヒー、白人の二人娘も何かぱくついている。
彼はとっくに出掛けているらしい。 
巨大な扇風機は今にも頭の上に落ちてくのではないかと思うほど傾いてはいるが、
ゆったりと廻っているだけで涼しいくらいだ。

 バス、といっても軽トラックの荷台に長椅子が二つ、
屋根は有るがガラス窓はなく自然の風が素通りする。 
ソンテウと言うそのバスで15分もすると、
ゴールデントライアングル。 
タイ、ラオスを隔てて来たメコン本流と、タイ、ミャンマー国境を流れた来たルアク川の合流点、
黄金の三角地帯と呼ばれたその昔の麻薬巣窟の面影は全くなく、
すっかり、観光地化されている。
広い範囲に渡り土産物屋が立ち並ぶ。
メコンの川岸にせり出した小さな小屋も多い。
ゴールデントライアングルを廻るボート屋だ。



 30分300バーツでチャーターしたボートは、巾が1メートルも無い、
舳先が鋭角に尖り強力なヤマハエンジンが付いている。
  


救命具を付けて乗り込む、物凄いスピードでメコンを溯る。
川の中からミャンマー、ラオスを眺める。







切り立った川岸の上には藁葺きのバラックが木々の間に垣間見られる。 
所々に、土手の上から階段が作られ、
川辺では上半身裸の女達が洗濯、男達は魚網を掬っている。 

ミャンマー側は少しずつ観光地化が進んでいるらしく巨大な仏像が建設中、
ラオス側は緑一色に静まり返っている。










建設中の大きなホテルは中国資本、一寸、さかのぼると中国、シーサンパンナだ。



洪景とゴールデントライアングル間に定期観光船が竣航したと聞いていたが、
目下休業中、仲々思うようにはいかないらしい。
川岸には中国国旗を掲げた中型の船が何捜か停留している、
商工業的にはこのルートが中国、
タイ、ミャンマーを結ぶ動脈として定着しつつあるようだ。

ラオス側に粗末な船着場があり、
土の階段を登ったミグレーションで20バーツの入国料を払うとラオス特産物を売る売店、
売子の女性は如何にもおぼこ、ただ、笑顔を振りまいているだけで、口を出さない、
これで商売に成るのかとこっちが心配になる。




オピウム博物館

 阿片に纏わる資料、原料となるケシの栽培法、
阿片の製法、吸引機具、組織の人物、麻薬貿易の古書類、
阿片常習者の蝋人形、等々、往時の面影が所せましと陳列されている。
係員に、冗談交じりに、
「阿片が欲しい」
と言うと、顔を背けた。
民族衣装の少女達が写真客目当てに三々五々屯している。



「タイ北部の少数民族の少女の写真が撮りたい」
がタイでの大きな願望の一つだったのだが、シャッターを押す気にならない。
自然の中の自然の少女達を、と抱いていたイメージとはかけ離れた、所謂、ヤラセだ。
被写体となってもらう代償を支払うのは当然であり、
そんなことに拘るこちらが偏狭なのかも判らない。
 どの一人一人も純朴そのもの、あどけない笑顔の少女達だ。
素直に小銭を払って上げれば、子供たちはどんなか喜ぶのにとは思うのだが...


コーヒーを飲んだだけもメーサイ

ゴールデントライアングルからバスで30分、
ミャンマーとの国境の町、メーサイに着く。 
大通りには中央分離帯も有り、かなり大きな街だ。
暑さとバスの振動で調子がおかしくなった私は中国風のレストランで一休み。 



彼は、
「一寸、廻って来る」
と出掛けて行く。
ガイドブックを丹念に眺める。
何がしかの入国料を払うと橋一つ隔てたミャンマー側に渡る事も出来そうだ、
ここの名物の市場では少数民族の衣裳、工芸品など珍しいものも売られているようだ。
有料撮影の少数民族の少女達もこちらが本場らしい。
心を入れ替えて、彼女たちの写真でも撮ろうか、等と考えを巡らす。
ところが、相棒は仲々帰って来ない。
散々待ちくたびれた頃に帰ってきた彼は、開口一番、
「たいした街じゃない、帰ろうや」
呆気に取られた私を尻目に彼は歩き出した。 また来る事も有るだろう。


豊満な仏像

チェンセーンに戻る。
宿の前に大型の観光バスが止り、白人の一行がゾロゾロと店に入って来る。

 

中には駆け込んで来るのも居る、カウンターの並んでトイレ使用料を支払っている。
相棒は昼寝に入った。
彼は朝の内に、チェンセーンは一回りしたようだ。
このままだと、何も見ないチェンセーンで終りそうだ。 
慌ててやや傾いてきたとは言え焼けるような日差しの中に出る。

 14世紀頃に中国との交易の中継点として栄えた
チェンセーン王国の遺跡が街外れに残っている。
如何にも廃虚の城跡、
中央の煉瓦の仏塔の四面に埋め込まれた仏像がかっての栄華の名残を幽かに止めている。 
穏やかな眼の豊満な女像、初めて目にするタイの古佛に眼を見張る。 



残念にも、半分の仏像は、殆ど顔の見分けが付かないほどに破壊され尽くされている。









まだ、4時だというのに、チェンセーン博物館の門は既に閉ざされた。


  
門の前の小さな店に腰を下ろすと、おばさんがラーメンを作ってくれた。



タイ風ラーメン、バミー、
片手でつまんだ中華緬をものの一分程茹でて、
淡白な味の熱いスープに入れる。
僅かの鳥肉と野菜をチョコンと載せた単純なものだが、これにはお世話になった。
というより、悲しいかな、タイ料理で私の口に合うのは、焼魚以外、これしかなかったのだ。
入れる具は様々だがスープの味は、
日本のオシンコ、韓国のキムチが各家庭で皆違うように、
店それぞれで特徴を出している。

埃を被ったウインドウの中に見つけたのは、貝、ビーズ、古銭を一面にあしらった腰飾り、
ビールの酔いも手伝って衝動買い、
と言っても350バーツ、ドシリと重いので、後が大変なのだが。


白人だらけのチェンコーン

チェンセーンからチェンコーンへのバスは昨日と同じ凄いバスのようだ。
尻込みしている私をいち早く悟った相棒は、
「こんな所にAC付きの車なんて有るもんか」
と言いながらも、AC付きの乗用車を調達して来た、 三菱ギャラン? 500バーツ。 
メコンを三角形の2辺にした底辺を西から東へ峠を一つ越える。 
快適な車は、いかにもタイの田舎の感じの村落を幾つも通り過ぎる。
対向車も数少ない、 この辺ならレンタカーで走れそうだ。

1時間半も走るとチェンコーン、小さな街だ。
運転してきたおばちゃんの知り合いらしい宿に横付けされた。
部屋は悪くない、AC、トイレ、温水シャワー付き、質素だが清潔、300バーツ。



大きなバッグを背負った白人達、面白いのはアベックのバッカーのどれもが
男女とも背負ってる荷物の大きさは変わらない。
それにしても白人が多い。

明日渡る予定のラオスへのビザ取得手数料、15日有効で$44、
「うちの手数料は何処よりも安いよ」
と、カウンターの奥さんが胸を張る。
確かに、ガイドブックに記載されているよりも安い。
書類に書き込んでパスポートを渡す、写真は不要のようだ。

すぐさま生ビール、
1リットルを二本飲んだら相棒はひっくり返った。
表に出て捕まえたトゥクトゥクに、
「街を一回りしてくれ」
と20バーツ払う、メコンに沿った一本の通りを行って帰って終わりだ。
横文字の看板が多い。 





道に平行してメコンが流れる





その一本の通りに面白そうな店を幾つか見付けた、その一軒に入る。 
 話し込んだ40歳くらいの親父はイタリヤ人、もう20年、ここに住んでいるとのことだ。

 

ビールを運んできた奥さんは、お世辞にも美人とは言い難い。 
若気の至りだったのだろう、
それにしても、親父の顔には幸せと言う字が書いてある。

 ワットプラケオと言う名の寺院を覗く。



 静かな佇まいの中に、仏塔と鐘楼が聳える。
 鐘楼の3階まで上ると、四方の景色が一面に開ける。 
一本の道筋の両側に家並みがあり、北側の屋並の後ろはメコンが音も無く流れ、
南側は家並みに続いて直ぐ田園が山裾まで開けている。 



三つ有るそれほど大きくない鐘、指で叩くと、幽かに心地よい音色で響き渡る。 


川魚とビール

起き出した相棒と、ラオスへ渡る船着場を下検分、
近くのメコンにせり出した展望台、此処にも茣蓙敷きの屋台が並ぶ。
日が沈みかけると、若者や家族連れがオートバイや車でやって来て、
10席ほどの茣蓙席が満員になる。







夕涼みなのだろう。 
焼魚とビールがやたら美味しい。
川魚にしては骨が無いし、味は鯛もどきだ。


JAZが流れるパブ

10時、相棒は既に高鼾だ、夜の街にさ迷い出す。
飛び飛びに有る店々には、半分裸の白人の若者達が屯している。
昼間行ったイタリア人の店に入るとJAZが流れている、
ここも白人だらけ、日本人の姿は見当たらない。
いろんな白人が出入りする。 
ロングステイと思われる中年が独りジョッキを傾けている。
四、五人の高校生位の男女連れが、一軒一軒店を物色して、前の店に消えて行く。
二の足を剥き出し自転車で立ち寄った金髪娘が、また、自転車で戻って行った。
ローマでのBinを想い出す、このところ音信が途絶えたが、どうしているだろうか?

 犬が多い、どれが飼犬か野良犬か区別がつかない、みな温順そうだ。  
 星が奇麗だ。

つづく