台湾記1 台中

東京から三時間、食事を挟んで、
ビールとワインと日本酒をチビチビやっていたら、あっという間だ。
飛行場で待機のマイクロバスに乗り込み、又三時間で台中。
一行13名に、日本の旅行者の搭乗員と現地のガイド、計15名、
搭乗員は25歳前後のお嬢さん、英語、フランス語が堪能とか、
現地ガイドのおばちゃんは65歳位、茶色のサングラスをして骨格隆々、
健康そうだ。 勿論、日本人としての教育を受け、
台湾師範を卒業し、小学校の先生、定年後、ガイドに。
日本語は私より流暢だ。
だけど、時々、例えば副詞、
[とってもきれい]が[ひどくきれい]になったりする。
50年の歳月が彼女の日本語を怪しくしているのだろう。

台北からの高速道路は高雄まで350キロ、台中まで130キロ、
高雄までの高速道路料金は日本円で約2000円、安い。
途中までは五車線だ。
右から左まで五車線をフルに使って、見事に他の車を追い越してゆく。
一面の田んぼ、2毛作なのでやっと穂が出掛かっているところだ。
高雄の方は3毛作だそうだが、政府はなるべく多毛作はしないよう指導している、
米が獲れ過ぎてしまうのだそうだ。
時々、対向車線との間に杭みたいのが見えて来る、
緊急時にこの杭を抜いて、飛行場にするのだそうだ。

これらは、皆、ガイドさんの説明からの引用だがこのガイドさんの物知りには吃驚してしまう。
宋美齢の話になった。
宋美齢は、宋家の富と、蒋介石の武力との政略結婚だった。
宋美齢にはアメリカ留学時の恋人がいたのだが、
泣く泣く引き離されて蒋介石と結婚した。
恋人との間に娘が一人いたが、姉の三人目の娘として、姉に託した。
それが、昨年まで円山大飯店を仕切っていた○○だ。
宋美齢は、姪の中でも、その○○を一番可愛がった、そうな。

台中市街に入る。
碁盤の目のように区画整理された市街の彼方此方が、
ひっくり返されており、開拓途上のアメリカ西部の雰囲気。

台中美術館、
スケールの大きさに驚かされる。
一部屋の広さ、天井の高さは、上野の美術館の2倍はあるだろう、
体積では4倍はあるのではないだろうか、
今回の旅の第一の目的であるR先生の個展がここで開かれている。
R先生、台湾では五本の指に入る書家で、
今回の書展は政府の主催で、2ヶ月間も展示されるのだそうだ。





それにしても、これほど沢山の大作を、準備するのは大変だったろう。
先生曰く、
「私は作品を売らないから、みんな、手元に残っているのです」
と笑っておられた。
日本の書家先生たちへの痛烈な皮肉にも聞こえる。
後日、先生宅をお訪ねしたがこれが書の本場の大先生のお宅とは思えないほど、
質素なマンションにお住まいだ。



日本の大先生たちにお見せしてさしあげたいものだ。
先生のどの書をみても、衒い無く、気骨隆々たるものがある。
先生曰く、日本では一流の書展に入選しないと書人としての生計は成り立たない。
また曰く、日本では流行に乗らないと....
それが是とも非ともはおっしゃらない。
芭蕉の不易流行なんて言葉と考えあわせる安易に結論の出せない話なのかも判らない。
いずれにしても、日展とか、毎日展とか、との違和感はここいらへんに有るようだ。

台中の街の彼方此方に、日本風の古い家屋が出現する。
何のことはない、屋根瓦が日本の瓦だからすぐ判る。
其の中の一軒が骨董屋だったが、建物そのものが見るからに骨董品だ。
ガイドの説明を聞いて、一同、心なしか意気消沈してくる。

これらの日本建屋は当然ながら戦時中まで日本人が住んでいた。
日本敗戦時に全てが国民政府に没収され、蒋介石に付いてきた輩
(ガイドさんは本省人、従来から台湾に住み着いている中国人を本省人と言う、
新しく大陸から来た中国人を外省人と言う、
本省人と外省人とはいまだしっくりしてないらしい)
に提供され、本省人は入る事が出来なくて、多くの本省人が路頭に迷った。
なにしろ、蒋介石と共に200万人がやって来たのだから。
混乱は日本だけでは無かったのだ。
日本人が引き上げた後、或る洪水の時に、
日本人のお墓から沢山の人骨が地面に流れ出して、
あたりをさ迷い、これを憐れんだ台湾の篤志家がお墓を整備した。
これがこれから行く宝覚寺だ。一同神妙に手を合わせる。
本堂を挟んで、日本人墓地の反対側に、巨大なエビス像、30mはある。
エビス大仏を睨んでいると、いつしか笑顔が蘇ってくる。

宝覚寺に寄り道したので、日月潭に着いた時は、もう、空も湖も闇に包まれている。
風光明媚を誇る日月潭、





特に素晴らしいと言われている夕闇の迫る日月潭を見損なってしまった。
それでも、ベランダに出て、湖面に漂う薄明かりをボンヤリ眺めていると
ジワジワと旅情がつのってくる。
翌早朝、多少紹興酒が残った脳味噌を奮い起こして、ベッドからにじり出る。
まだ明けきらない有明の光の中に、
絹の衣のような霧の帯が幾重にも湖面にたなびき、
ところどころ衣がほどけて湖面が見え隠れしている。

涵碧楼、このホテルは、
以前、政府の賓客の宿泊施設だったのが一般に開放された。





五階が入り口で、断崖を背に一階まで全ての部屋が日月潭の絶景に面している。
ホテルの造りは、頑丈だが、豪華ではなく、むしろ、質素といえるだろう。
広々とした部屋は質実剛健、大きな家具がデンと置いてある。
従業員も、どちらかといえば、愛想が無い。 国営のせいか。
宿泊費はNT$1320からあるそうで、思ったよりやすい。

奇麗に磨き上げられた、いかにも台湾風の文武廟、玄奨寺を見物して帰路に就く。






つづく