アルザス記1

朝、何たることだ、肩から背中まで激痛が走る。
今までに無いことだ。
ともかく家を出る、何とか成田まで辿り着く。
不思議な事に、成田に着くか着かないうちに、
何時の間にか肩の痛みは何処かに消え去ってる。

余り評判の良くない飛行機、なにしろパリ往復7万円、
これを聞いた娘が昨夜電話して来た。
「あの航空会社は止した方が良い、余りに評判が悪いワヨ」
との事だ。

12:00出発。
ランプが消えるとスチュアーデスたちがめまぐるしく動き出す。
仲々の美人揃いだ。
ボリショイから抜け出したような女性、男性だ。
懸命に笑顔をつくってのサーヴィス。
巷の評判の悪さは微塵も感じない。

巨大な尻を持つ黒人女性三人がが斜め前の席、
白地に金、緑、薄紫、濃紫の糸を織り混んだ衣裳はセルガルの民族衣装らしい。
靴もグリーンの線が入っている。
とってもお洒落だ。

アルコールのお代わり、
「ビールかワインか、とにかくアルコールが欲しい。」
「ノー、テイー オア カッフェー」
何回か交渉しても、頑として聞き入れない。
折角のサビースもこんな事で評判を悪くしいるのでは、 惜しい話だ。

一時間遅れでモスクワ着、
何となく慌ただしくパリ行きに乗り換えて忘れ物に気が付く。
成田で仕入れた大瓶の日本酒二本、日本酒の晩酌三昧は早くもモスクワの露と消える。
8:40 眼が覚めると、眼下で大河がとぐろを巻いている。

とぐろ巻く大河の上や昼寝覚

驚いた事に通路で大男が踊りながら歌いだした。
いい声だ。
腹の底から出ているテノール。
リズムも心地よい。

その昔、
新宿の歌声喫茶で歌ったあのリズム。
スチュアーデスが笑顔で注意するがなんのその、
金髪の二人ずれに向かって雄鷲が囀るように歌いかける。
始めニコニコ愛想笑いしていた女達が獣のように化粧をし出した。

殆ど平原と畑の下界は日本のそれと大分異なる。
これだけの耕地なのだから、集中した富のスケールが違う。

例の大男と目が合った。
握手を求めてきた手のサイズは私の2.5倍はある。
その巨大な手を胸に当てて両手を開き、じっと私を見る。
どんな意味があるのだろう。
「スパシーバ」
を連発すると大男は至極ご機嫌だ。



パリに近づく、畑の中に教会、民家、お墓も見える。

ドゴール空港、飛行機の翼が建物にスレスレ、今にも触れそうだ。
空港の近くに宿を取る。
時間はタップリ有る。
60日のフリーチケットだが、とりあえず、一ヶ月後の帰りの便を予約をして来た。
物足りなかったら、調子と様子を見て、延長すればよい。
パリも一寸見たいし。

今回の旅の骨はフランスの田舎廻りだ。
そんな中で、
アルザスでは、ウンターリンデンとワイン街道、
プロバンスではアヴィニヨンの橋、
ペリグーでは当然ラスコー洞窟、
と、そんなつもりが、第一の失敗、ユーロパスを買ってしまった。
フランス、ドイツ、スイス、イタリア、スペインの中から3から5カ国が選択でき、
更にオプションで1から4カ国追加できる。
もったいないが、とってもそんなに廻れない。
せめてと、フィレンチェ、ローマを加える。
どちらかといえば、フィレンチェに重きを置いて、
フィレンチェに5日、ローマに3日割くことにする。

3:00に目が覚める。
もう一度寝て5:00に起き出す。

昨夜のホテルのバーでのビールが若干残っている脳味噌でも、
まだ、モスクワに置いて来た日本酒の事がこびりついている。
酒の恨みは恐ろしいのだ。
ともかくご飯を炊いておむすびを作ってチェックアウト。

空港からパリ東駅行きのバスを探すが仲々見つからない。
近くに居た小父さんも一緒になって探してくれたが判らない。
時間表も無ければ、バス停も見付からない。
日本に良くある、いや、昔よくあった、あのコンクリートの塊の上に看板の付いていたあんなバス停、
その昔、
何人かの悪友連と一つ先の停留所までヤッサヤッサ担いでいって取り替えて来た事があった、
あんなバス停ならわかり易いのに。
「今、家内が私を迎えに来る、通り道だから乗せていってあげる」
と小父さんが言ってくれる。
予約してあるストラスブルグ行きに乗り遅れるとややこしい事になる。
今回の旅の約束事の一つ、
「タクシーには乗らない」
を、のっけから破る事になるが仕方ない。
あと10分待って駄目なら、タクシー、
と思った矢先にやって来た。
くればあっけない。

約50分で、
昔の上野駅と、5年先の上野駅を足したような雰囲気の東駅。
ありとあらゆる人種、階級、職種、老若男女、我々のようなリュック族、
最先端のスーツに身を包んでどちらがどちらの手か判らないほどにくっ付いている男女、
驚いたことに小銃を手にした警官と兵隊、3、4人ずつ何組か巡回している。
あちこちで、職務尋問しているのだろう、パスポートを要求している。
時折、後ろ手にされた若者を、両脇から支えて通る警官もいる。
最近、テロ事件があったらしい。






アルザス記2

列車はパリ東駅からほぼ真西にあるストラスブルグを目指す。
同室は鼻のツンとした如何にも頑固そうな、そう、鉄の女サッチャーのイメージの老婦人だ。
貪るように新聞を読み続けている。
ナンシーあたりから外の景色も少しずつ変わってくる。
線路と平行に有る運河にはヨットが浮かんでいる。
かと思うと、白い牛がゆったりと草を飯でいたり、
緑色の水を一杯に貯えた河で釣糸を垂らす人がいたりしている。
広い平原の殆どが森と牧場、畑は殆ど見えない。

別室の婦人がサッチャーさんに何か尋ねてきた。
「この汽車の食堂車はどうなってるの?」
「今、ストライキ中で隔日に営業するのよ、今日は無い日よ」
という事らしい。
そう言えば、
この路線には気の効いた車内販売が廻ってくると聞いていたがそんな気も無い。
サッチャーさん、これ以外の会話はなく4時間弱、新聞を読みっぱなしだ。
隅から隅まで、もしかしたら偉い政治家かも判らない。
やがて、列車は山間に入ってくる。
幾つかトンネルを抜けると、また、平原に出る、
アルザスだ。

ストラスブルグも直ぐ其処。
ストラスブルグを通り抜けて更に東に進むと直ぐライン川、ドイツだ。
その先は「黒い森」にぶち当たる。
さっき通り抜けたヴォージュ山脈が南北に走り、
これに平行してライン川が流れている、
この辺り南北約200kmがアルザスだ。

今はラインが国境だが、ある時はヴォージュが国境の時もあり、
これが有史以後でも何回か入れ替えが有って、
その時代時代にアルザスの悲劇を生んでいる。
ドーデの「最後の授業」の舞台になったのがこれから行くコルマールだが、
アルザスが明日からドイツ領になる日、先生が言う
「フランス語の授業は今日が最後です」

この場面が格好の愛国心高揚に、 と教科書にも載るわけだ。
ところが、当時のアルザス人の母国語はアルザス語であってフランス語ではない。
アルザス人にとっては欺瞞この上ない作品であったと聞く。
今でもこの、どちらかと言えばドイツ系の方言が日常的に話されており、
アルザスも一寸田舎に行くとアルザス語しか話せない老人が居るそうだ。

ストラスブルグで乗り換えてから南に70kmも下がったコルマールまで、
ヴォージュ山脈の広い裾野に点々と村落が散らばっている。
そのどれもが教会を中心に、
教会を守るように同じような屋根の形、
色の民家が寄り添って村落の塊を作っている。
村落と村落の間は果てしなく葡萄畑が続く。
山の頂には幾つかの古城が見え隠れする。
あのどれかが「大いなる幻影」の舞台の筈だ。




アルザス記3

列車がコルマール駅に到着するや否や、
迎えの声、Nさんは今日アムスへ出張と聞いていたので、
夕方まで時間を潰そうと思っていたのに、
いまや立派な幹部の後輩二人が雁首を揃えている。
数年前からヨーロッパの拠点の一つとして、此所に工場が建設され、
日本から相当数の人間が派遣されている。
最近、営業部隊も集約されたようだ。

ともかく、車で5分程の会社に入る。
懐かしい顔が集まってきた。
皆で私の旅の日程をチェックしてくれた。
私を年寄り扱いして、まあ、好きなようにやってくれ。
と、悔しい事に誰かがミスを発見する。
コルマールからミラノへの切符の予約は6月4日0:25であり、
ミラノに着く翌朝の6月5日8:00に、
ミラノからフィレンツエへの切符も予約して有る。
翌朝と言うのが曲者で、夜行列車とは言え、0:25は当日であり、
このままだと、6月4日の朝にはミラノに着いてしまっており、
危うく一日途方に呉れる所だった。

直ぐにミラノの出先とコンタクトして宿の手配をして呉れる。
現役は手際がいい。
みんな一世代も二世代も後輩だが、彼等が会社を仕切っている。

夕方、食事の前にチラッとO君がコルマールの中心街を案内してくれる。
噂のコルマール、興奮で足元が覚束ない。



観光客も多いのだが、皆、古い中世のままの街並みをゆったりと歩いており
人の数の割に街の喧騒はない。
ウンターリンデンの場所を確かめセント.マーチン教会を覗く。
ステンドグラスが美しい。

その足で、コルマールの絵葉書に必ず出てくるプチベニスの、
その絵葉書のレストランへ、もう、皆集まっている。
何世紀か前に建てられたのだろう、





柱や棟木の古木が年輪をくっきり出し、黒光りしている、
そんなレストランでのフォアグラのつまみで噂のオード.ヴィー、
お酒に詳しい人は涎が出るのではないだろうか。

オード.ヴィー、
「命の水」と言う意味だそうだが、洋梨、木いちご、さくらんぼ、
プラムなどから造られる透明な蒸留酒で、高アルコール度、
口に含むと、口中に芳香が広がる。
その芳しさは一筋縄ではない。
何段締めとかいう言葉があるが、
何と言ったら良いのだろう、舌の先端、奥、
そして左右、要するに味を感じるさせるあらゆる部分に、
多種多様な味を感じさせてくれる、
'要するに果物の焼酎'というだけではすまされないお酒なのだ。
ただ、一寸高価なのが難点だ。

引き続きNさん宅に席を移し、今度は日本酒で四方山話が尽きない。
単身赴任中のNさん宅に勝手に上がり込んでの宴会になってしまった。
単身赴任にしては、小奇麗にしている。
Nさん、あんまりお酒を飲まないのだが、
日本からのお土産なんだろう、お酒はタンマリある。

遅くなって、Nさんが戻り、深夜まで再会を祝す。
お酒のあんまり強くないNさんが一生懸命付き合ってくれた。
眠ってしまうには惜しいコルマールの第一夜だ。


アルザス記4

朝目覚めたら10:00を廻っている。
勿論、社長様は既にご出勤だ。
奔放にして繊細の社長らしく、
机の上にメモ、小銭、テレホンカード、ご飯も炊けている、味噌汁も。
納豆ふりかけと梅干しで朝食を摂り、おむすびを二つ、仲々美味しいご飯だ。
この納豆ふりかけは、
私が以前に大磯で見つけたものだが仲々単身赴任者連中に好評だった。
Nさん、こちらに単身赴任して、もう、3年近くなる。
台所、冷蔵庫の中も、如何にも日本食が詰まり切っている。

コルマールの中心まで歩いて10分と聞いていたのでフラッと出かける。
迂闊なことに住所を聞いてなかったので、
歩き出したものの今何処に居るかがサッパリ判らない。
半信半疑でしばらく行くと大きな地図があり、
現在所も印してある。
その先、要所要所にこの地図の看板が立っていてとても助かった。

ともかく、ウンターリンデン美術館に直行する。









観た人は「金縛りにあう」と言われるグリューネヴァルトの「イーゼンハイムの祭壇画」







 

 

たっぷり時間を掛ける。
十字架のキリストを中心にマリア、ヨハネと仔羊、
マグダラのマリア等が円形に囲む構図、
一人一人の描写、
特に苦悩でうなだれ歪むキリストはそれまでの「超越的」な面影はなく、
より「写実的」で「人間的」なのだそうだ。
聖書、宗教、西洋史に縁の無い私には、さしずめ、猫に小判か。
それでも、何故なんだろう、
マグダラのマリアに魅入られ時,
j時間の経過を忘れてしまっていたのだ。







 










美術館を出て、広場の屋外レストランに腰を据える。
今回は、重い思いをして300mm付きカメラを持参したので、
人間が思いどおりに撮れる。



 







今回の旅のテーマの一つにはマリアの収集がある。
先程のマグダナのマリアを思い浮かべながら、
今度は生きたマリアを撮りまくる。
古い街と新しい人間の取り合わせの妙に酔う。
幾ら座っていても飽きない。

と、目の前に、可愛いミニトレインが止まった。
切符の買い方が判らないが、エイッとばかりに最後部に飛び乗る。
直ぐ小父さんが集金に来た。
35F、日本語の案内のイヤーホーンも付いている。
20mもある貨車が狭い古い街並みを、魔物のように見事に通り抜ける。



30ー40分位でコルマールの中心部の要所を廻ってしまう。
16、17世紀前後の気組みの家が、
レストランはだったり、酒屋だったり、





八百屋だったり、床屋だったり。

大体の見所を一回りしたのだが、
古い街並みがクネリクネリとしていて一向に覚えられない。
インフォーメーションで詳細地図を入手する。
TCを両替しようとしたら、銀行へ行けという。
2時までだという。
まだ1時になってない、 ゆっくり行くと銀行閉まってる。
何のことはない、2時から開店だった。
まだ一時間もある。
とりあえずの小銭に困った、 ビールも飲めない。
銀行の前にクレジットカードのキャッシュチェンジャーが有った。
天の恵みとばかりにカードを差し込む。
次の操作が判らない、何処を押してもカードも戻らない。
青くなって、片っ端からボタンを押す。
ウンともスンとも言わない。
何回かやっているうちにスルスルっとカードが出てきた。
後で、皆に話すと、「ICチップを埋め込んだカード」専用とのこと、
「無茶な事する」
と呆れ果てられた。

キャッシュが無い侘しさを一時間余り味合って、2時になる。
銀行で、TCを差し出すと、
「No」
「Why?」
ギクッとすると、ジッとTCを見つめて、
「おー、OK」
脅かすワイ。

早速、ビール、このあたりの出来立てのクロネンビール、堪らない美味さだ。

ニューヨークの自由の女神像の作者がコルマール出身なんて想像もつかなかった。
そのバルトルデイの博物館が街の中心に有り、彼の彫刻や絵画の作品、
身の回り品などが展示してある。



彼の生家を博物館にしたらしい。
当然、自由の女神関係の資料も多い。
大通りで彼の銅像も見掛けた。



 



そのバルトルデイ美術館の付近にも1500年代の古い民家が残っている。
その中の一つの床屋さんはNさんの行付け、これは後で聞いた話だ。
会社のOさん宅の真ん前は、サン.マルタン教会、
Sさん宅の前が、例のウンターリンデンだったり、
どうなってんのだろう。
いずれにしても、歩いて行ける距離に、見所が集中している。

その見所の幾つかは古い民家であり、
今なお現役として生活の場になっているのだ。

 

何時の間にか、5時を廻っている。
初日だし、NさんにTELを入れようとしたが、どうもうまくゆかない。
受話器を取る、カードを入れる、番号を廻す、
その番号は、局番のどこからプッシュするのか、
この組み合わせをやっていると埒が明かない。
後で分かったのだが、しかるべき表示が出るまで、
一寸時間を置くのがコツ?のようだ。

二日酔いでついフラット出てしまったNさん宅までようやく辿り着くと、
既に、Nさん心配顔で待ってる。


アルザス記5

夕飯はSさん宅で、手作りの純日本食をタップリご馳走になる。
N、O、S、さん共通してお酒が弱い。
夕食が済むと三人は活き活きと、三人マージャンをはじめる。
Sさんの奥様は美人の誉れが高い、そして日本酒党だ。
奥様とアルザス談義が尽きない。

こんな話もして下さった。
一頃コルマールで話題になった二軒の店が有る。
一軒はコルマール駅前の由緒有るホテル、
ある事件から評判を落として、経営状態も低迷している。
もう一軒は、これも由緒有るレストランだが、
こちらはその同じ事件からこちらは評判を上げて、
経営状態は頗る好調なのだそうだ。
その事件というのは、
皇太子と雅子さまがお忍びでコルマールでデートされた時、
前者のホテルにお泊まりになられたのだが、
このホテルはこれを宣伝材料に利用して、コルマール市民の顰蹙を買った。
一方、後者のレストランは、お二人がそこでお食事したのは公知なのに、
頑として口を閉ざす、今でも口を割らないそうだ。
これが一徹のアルザス気質に拍手喝采を受けているのだという。

日本酒をしこたま戴いた後で、奥様にコルマールをご案内戴く。
何しろ家の扉を開くと真ん前がウンターリンデンだし、
一歩外に出ると、そこは15、16世紀のままの街並みの真っ只中だ。
その美しい街並みを美しい奥様のご案内でゆったりと歩く。


翌日は、会社のコンペに入れて貰う。
20人程のコンペだが、全部日本人、
フランス人のサラリーマンにはゴルフは人気が無いようだ。
250Fのプレー費でキャデーは付かない。
Nさん達は週に一回はコースに出ているという。
これがストレス解消と適当な運動になっている。

コルマールの駐在員のうちの二人はアルザス人のお嬢さんと結婚している。
やがて日本に連れて帰るのだそうだ。

夕方、Nの買物に付いてゆく。
なんとそのスーパーもウンターリンデン広場に面している。
流石にフランスのスーパー、食品売り場の品物の豊富さには兜を脱ぐ。
中華食コーナー、メキシコ食コーナーに並んで日本食コーナーもある。
買物を済ませてNとコルマールを散策。
これで4度目の散策だが、
その都度、古い街並みが新鮮だ。

「あすこのパン屋さんはコルマールの老舗なんよ、
そこの息子が俺の所で働いておるんよ」

Nは関西人だ。
関西弁に、東京弁、沼津弁も混じっている。
「そいつは3カ国語を話すんよ」
「そこの二階はAが住んでるんやで」
「家賃は9万円くらいやな」

コルマールでも最も古い民家と言われている建物は酒屋になってる。
私はワインが全く判らないが、親父が口角に泡を飛ばしながら、
懸命にアルザスの銘酒を説明してくれる。
その中の「これは絶品」と教えてくれた
「シャトー.マーゴ」
を奮発。

その「シャトーマーゴ」を持って、O宅へ。
何かといっては、単身赴任組はご家庭を尋ねるのだ。
刺身、天婦羅、豆腐、魚の煮物...
明るくて楽しい奥さんはアルザスの民族画に凝っておられ、家具、
置物、食器、飾り物、等々何にでも描きまくってしまう、
それが仲々に様になっている。
日本に戻ったとき、これは売物になる、と私は太鼓判を押した。
アルザスを心底楽しんでいる奥さんもいるんだ。

電話が掛かって来た。
奥さんがしばらく話し、御主人に替わる。
S学園に入っている息子さんからの電話、
御主人が盛んに親父の威厳を示している。
昨夜のOさん宅も、今夜のSさん宅も、一人と二人、
子供さんは全寮制のS学園に入っているのだ。
聞く所によると、日本の私立大学よりも月謝が大変なのだそうだ。
その大変なところへ三人の子供さんを預けている人もいるのだと。
大変だ、大変だ。

 

続く アルザス記(2)

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