イタリア記5
ローマ2

夕食を取りながら、忘れないうちにとヴァチカンのメモをとる。
今迄、何となく混乱していたミケランジェロとラファエロの区別が、
今回はっきりしてひとりでに頬が緩む。
ミケランジェロが89歳まで長寿だったのに対し、
ラファエロは37歳で夭折している。
懸命にメモをとっていると、
「ココ、アイテマスカ」
と元気の良い声が掛かった。多分英語だった。
「 OK OK」
と見上げると、スラリとした血色の良い女性が白い歯を出して斜め前に坐る。
モナリザと同年代くらいだろうか、
モナリザがパッチリ眼を開けて白い歯を出した、
そんな感じで仲々魅力的だ。
東洋系だが日本人ではない。
横目で見ていると、凄い食欲だ。
うずたかく皿に盛ってきたものをペロリと平らげてしまう。
全く羨ましい限りだ。
こちとらはこのところ白い飯にも有り付け無い上に、この暑さだ。
何時の間にか前の女性の事も忘れて、旅行記のメモに熱中していると、
突然、
「ニホンノカタデスカ」
タドタドシイがちゃんと聞き取れる日本語でその女性が話し掛けてきた。
「そうです、貴女は?」
「アメリカ人です、8年前に韓国から移住しました」
片言の日本語に英語が交じる。
話し掛けてきたのが日本語で、極めて自然だったのと、
私も少々人恋しくなっていたせいもあるだろう、とんとん話しが弾む。
絵を勉強しているらしい。
日本語学校にも通っているのだと。
とても、絵に詳しい。
夢中になってくると早口の英語になってしまい、少しも判らない。
小説読むのも大好きだと言う、日本の作者では、
「ヤスナリ」の「スノウカントリイ」が出てきた。
「アナタニ、オネガイガアリマス」
「ハイ、なんですか?」
「今夜、トレヴィの泉に行きたいのですが、一緒に行ってくれませんか」
勿論、OK,大OKだ。

「大丈夫、大丈夫、私がガイドします」
と言うので、後を付いて歩くが、
どうも方向感覚がそれほど良い方では無いようだ、
しばらく彷徨して、それでもトレヴィの泉に辿り着いた。

トレヴィの泉、
少し暗めの照明に描き出される泉の周囲は、もう若者で一杯だ。
どの顔も幸せそうに輝いている。
こっちまで気分がわくわくして来る。
ツーショットなどしてご機嫌だ。



旅行中の夜は大抵何処かにしけこんで、
しかめっ面で飲んでいるのが普通なのに思いがけず楽しい夜になってしまった。
後ろ向きになって硬貨を4、5枚奮発だ。

近くのバーでビールで乾杯、彼女アルコールはあまりいけないようだ。
一口飲んでニコニコしている。
テーブルにイタリー、ドイツ、フランスの国旗が立てて有る。
彼女
「此の方、日本人よ」
と親父に言うと、親父、日の丸を持ってきた。



アコーデオンを鳴らしながら若い流しが寄ってきた、
彼女がリクエストしたのは、
「旅情」。



彼女のプライバシーに関わるので省略するが、話しは尽きない。
明日は一緒に行動しようという事になる。

翌日。
今日は、二つの美術館とコロッセオを観て、夜は日本食、
そろそろ日本酒が入らないと沈没しそうだったが格好の連れが出来た。
「エッ、嬉しい、私、日本食大好き」
ときた。

それにしても彼女の方向音痴振りは傑作だ。
地図を睨んでグルグル廻って
「はい、こっち」
と歩き出す。
決断は早い、要するにオッチョコチョイだ。
それと、イタリア人、道を聞くと一生懸命教えてくれる。
何となく判ったような気がして動き出すとどうも見つからない。
イタリア人の「歩いて2、3分」は大体5分だ。
どうも倍と見なければいけない。
それにしても、一つの公園内にある二つの美術館、
せいぜい上野公園をイメージしていたが、飛んでもない。
公園の中をチンチン電車やバスが走っているのだ。

散々歩いて、近代美術館。
モジリアニ、クリムト、ゴッホ、セザンヌなどにお目にかかる。







彼女の絵の詳しさには吃驚する。
それぞれの絵や作者の生い立ちやら裏話なども話してくれる。
夢中になると英語ばっかりになってしまいチンプンカンプン、
どうもプロに近いようだ。
ゴッホが大好きと言う。

ガラスファイバーや赤外線とか光と映像の作品もいろいろ説明してくれたが、
さっぱり判らない。
もう一つのヴィラジュリア美術館。
エトルリア美術の頂点だそうだが、流石に急ぎ足で通り抜けた。

昨日近くまで来たコロッセオ、今度は私がガイド役だ。
壮大なコロッセオ、





ここで人間と人間はおろか人間と動物の戦いが観戦されたのだ。
心なしか血の匂いがするようだ。
それにしても暑い、近くのフォロロマーノ、ここもそうだが、
ローマ時代の遺跡が至るところにある。
何処でも一寸掘ると遺跡が出て来る。
街の彼方此方で発掘途中の現場が見受けられる。

通りの両替屋で両替しようとしたら、彼女、駄目だという、
お陰で銀行見つかるまで、2、30分余計に歩かされた。
この辺が日本人、アメリカ人の感覚の違いなのだろう。
勘定の時も徹底している。
勘定書きを事細かにチェックし、
目の前で必ずキャッシュを勘定してから、
カウンターの数字と照合する。
少しでも疑問があれば必ず確認する。
何処かの店で、お釣がまだ出し終わっていない時に、
私がパッと掴もうとしたら、
「まだ触っては駄目です」
と手を押さえられた。
お釣は全部出し切るまで触ってはいけないと言うのだ。
日本人はこの辺非常にルーズだが、アメリカ人は実にシビアーだ。
でも納得できる。
アメリカ人とこんな対等の立場で、
こんな身近な付き合いをした事が無かったが、
お国柄の違いが見えて面白い。

帰りは彼女がガイド、バスに乗ったがどうも変だ。
急に、彼女が
「降りましょう」
と引っ張る。
案の定、反対方向に来てしまっている。
ところが、目の前は地下鉄の駅、此所からはノンストップで帰れた。
タマタマなのに、
彼女は「ほらね」って感じでアッケラカンとしている。
この人はO型だと確信する。



YHに戻り、シャワーして一休み。
夕方、日本料理店を目指す。
ところが昼間の暑さのせいでか店の名前の書いてあるガイドブックを無くしてしまった。
大凡の見当は付いている、
トレヴィの泉の近くの筈だ。
通りに大きな看板が出ていて店は直ぐ見つかった。
客は日本人ばっかりだ。
久しぶりの熱燗に酔う。
日本では毎日欠かしたことがないのに旅先では仕方ない。
彼女はお猪口に少しの酒を、なんと、鼻をつまんで飲んだ。
「毎日このお酒を2、3本飲む」
と言ったら目を丸くしていた。
酒を温めて飲む習慣のない人達には熱い酒は強烈過ぎるようだ。
期待していたトロの刺身はなかったが鯛かなにかの白身の刺身はまあまあだった。

明日、彼女はヴァチカン美術館、夕方落ち合う事にする。


イタリア記14

今日でローマは最後だと言うのにだるい。
一寸はしゃぎ過ぎたようだ。
この暑さでは少々自重が必要だ。
ベッドでウツラウツラしていたらドナテッロのマグダラのマリアの様な顔をしたおばさんが、
恐い顔で何か怒鳴っている。
物凄い剣幕だ。
一つ一つの部屋を怒鳴り廻っている。
「9時までに部屋を出なさい」
と言ってるようだ。
11時がチェックアウトの筈なのでシャワーでも浴びてゆっくり体調を調えようとしていたのに。
慌てて荷物を全部廊下に出して荷造りを始める。
様子を伺うと、端の部屋から掃除を始めたようだ。
私の部屋は一番反対の端だからまだまだ時間の余裕がありそうだ。

結局、10時半まで休んで、チェックアウト。
今日はあの日本語のうまい彼の姿は見えない。
顔をあわす度に、
「ダイジョービ」
とか
「オゲンキ」
とか声を掛けてくれた。
一言お礼が言いたかったのに。

まずテルミニ駅まで行って、大荷物を預ける。
手荷物預場、トイレ、フィルム売場、
気分の良いセルフサービスの食堂等テルミニ駅の概要は頭に入った。
その食堂でピザとビール、ピザも殆ど食えない。
それでもガソリンが入ったせいか、多少元気を取り戻す。
インフォーメーションに行き、地図一式を入手する。
あと半日どうするか、
暑さと出来の悪いガイド?のせいで市内見物も中途半端だ。
もっともローマはヴァチカン美術館に絞ったのだから良いとしなければ。
例の得意なバスツワーにする。
ローマの地図を睨んでいると、
ローマをくの字型に流れているテヴェレ川が目に付く。
バス路線図と照らし合わせる。
テヴェレ川の左岸を上り途中から右岸を上るバスを見つけた。
いずれにしてもテヴェレ川に沿って走るバスだし夕方落ち合う場所にも好都合だ。

フィレンチエのアルノ川の水は茶色だったが、テヴェレ川の水は緑色だ。
上流の地質の違いなのだろう。
テヴェレ川を少し上ると左側にテイベリーナ島が見えて来る。
医術の神様の伝説が残る島に近代的な病院が建って、伝統が保たれている。
右岸にかかる橋は紀元前60年、
左岸の橋は紀元前62年に造られたと言うのだから驚き桃の木だ。



両岸に緑一杯の大木の並木に沿ってベンチが並び、
老若男女が三々五々川風に涼んでいる。
暫く走ると左側によく絵葉書などで見る大きなお城が見えて来た。
あの「トスカ」の舞台にもなったサンタンジェロ城だ。
急いでバスを降りる。
欄干が沢山の彫刻に飾られた橋の正面に聳え立つこのお城の歴史は、
紀元135年までさかのぼる。





エレベーターで上り、テラスに出るとローマが一望出来る。
サンピエトロも直ぐ傍に美しいドームをさらしている。



ピエトロ広場の人間達が雲霞のように見える。



中庭に、映画や絵本で見たことの有る石の大砲が飾って有る。



螺旋階段を下りて川岸に出る。





ここからなら約束の場所まで歩いても、10、15分で行ける筈だ。
爽やかな風が通り抜けて気持ち良い散歩コースだ。 
橋を渡れば直ぐそこで、ふと横に信号待ちしているバスに眼をやると、
なんと彼女がニコニコ手を振っている。

お互いに再会を祝する、いよいよ最後の夜だ。
今夜は彼女が韓国料理を御馳走するという。
韓国料理は焼き肉、キムチしか食べた事がないが肉はあんまり歓迎しないし、
キムチでは食事にはならないし、一寸躊躇していると、例の調子で
「ダイジョーブ、ダイジョーブ、何事もケイケン、ケイケン」
まあ、キムチでお酒飲んでればいいか、と同意する。
どうも、方向音痴だから危なくて仕方ない、
またトレヴィの泉の近くに来た。
この辺りにいろいろ固まっているようだ。
「昨日は看板が有ったけど、今日は大変だよ」
と私が言うや否や
「あったアー」
彼女の指差す方向に、店そのものが見つかった。
店の中からゾロゾロと人が出てきた。
ニンニクの匂いを撒き散らし楊枝を食えて、日本のノーキョーツアーと全くおんなじだー。
店の中もツアー客ばっかり,、
二階の一角の静かな部屋に案内される。
メニューを睨んで、豆腐キムチとレーメン、
ボーイに日本酒は無いかと聞くと日本酒は無いが焼酎が有るという。
「でも、チョット高いよ」
日本語が上手だ。
私は胃袋が弱いので、と言うより少ししか残ってないので、
強いだけの酒は飲まないようにしている。
でもこの間のコルマールでのオードヴィーのように風味の有る奴には弱い。
トライしてみると仲々な味だ、口一杯に心地よい風味が広がる。
何処にでも美味い酒があるもんだ。
残念ながらその酒の名は忘れた。
焼酎と共に5品のつまみが付いてきた。
焼酎に付き物だそうだ。
とっても食い切れない。

絵画、映画、音楽、文学、大体同じような趣味趣向だ。
EーMAILもやってるとの事でアドレスもしっかり交換する。
杯がすすむと、
何時の間にか私が自分の事ばかり話していることに気が付く、
「貴女の事、何か話してよ」
と言ったら、彼女、身の上話しを始めた。
貴女の話題と言う意味で言ったのに、
ドギマギしてしまう。
よっぽど私が安心な、善人に見えたのだろう。
いろいろ話し呉れたが、修行中の独身画家というところだ。
日本には行った事はないがお父さんが東京外語出身とかで、
日本についての知識も豊富だ。
顔は東洋系だが、物の考え方、言動行動はアメリカ人なんだろう。
とにかく、天真欄間で屈託ない。
いろいろ不幸が有ったようだが、前向きだ。
将来の夢の実現の為に、今は世界中を廻っているのだという。
何だか、こっちまでムズムズと勇気が湧いて来る。
失い掛けていた夢を取り戻したような錯覚に陥る。

いろいろ勉強させて貰ったが、こんな事もあった。
私が日本人と会う度に、相手もそうだが、顔を背けるのをみて、
「オカシイネ、私は旅先で国の人に会ったら懐かしくて、つい声を掛けてしまうヨ。
なんで、日本人そうするの? ヘンナノネ」
そう言われてみると、たいした理由は無い、
単に、気恥ずかしいだけかも判らないが、
彼女たちアメリカ人?から見ると、なんとも不自然のようだ。
私は、これ以後日本人に会った時には少なくも笑顔を向ける事にし、
これを実行したが仲々気分が良いもんだ。

彼女はこれからベニス、プラハ、ブダベストを廻ってパリへ、
私はニース、アヴィニオンを中心に南フランスの田舎、
ブリーブを拠点に西南フランスの田舎周りをして、
いったんコルマールに立ち寄りパリへ、
どうも日程的にもパリで再会の可能性がある。
今後の情報交換先をコルマールのNさん宅に決め、パリでの再会を期す。







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