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ラスコー記1

朝、電話の音で目が覚めた。
「あんた、起きられなかったの? ウイッ. ブチュブチュ...ウイッ. グチュグチュ....」
時計を見ると5時50分、予約した列車の発車時間は5時51分。
親父の奴、モーニングコールを忘れたな、
グチグチ言っても始まらない、人間、時には諦めが肝心だ。
「俺には日本語版のクック時間表が有るのだ」
と昨夜やっと整理した荷物の奥まで掻き回したが見当たらない。
おまけに、地図も無い。
「こりゃー参ったぞ」
兎に角、駅まで走る。

フランスの一人旅は初めての経験なので、
汽車と着いた場所での宿所は必ず予約を入れる事にしてしている。
改めて予約した汽車の切符をしげしげ眺めると、
アルルから目的地のブリーブまでモンペリエ,
トゥルーズで乗り換える事になっている。

モンペリエ行きとおぼしき列車に乗り込む、早朝6時、客も殆ど居ない。
たった一人の客、中年の男に、
「この列車はモンペリエへ行くか?」
と尋ねる。
「ウイッ 」
とひとこと言って、新聞から目を離さない。
「この男、英語判ってるのかなぁ?」
不安が過ぎる、そうこうしているうちに列車は走り出した。
「エエイッ、ママヨ」
とは言うものの、時間表も案内書もない旅ほど、心細いものは無い。
男の「ウイッ」だけが頼りの情けない旅になった。

日本なら、東海道線、東北線とか、新幹線にしろ、非常にシンプルだが、
フランスの鉄道は、やたら、ややこしい。
特にアルルの付近は同じ線路が、列車によって、上りだったり下りだったり...
西へ向っている筈が、どうも、反対へ向っている。
ままよと覚悟を決める。
(後日判ったのだがこの辺りの路線はS字形になってる部分がある)
その内に西へ向い出したようだ。

予約切符に書いてある時間からして、もうそろそろと思っていると、
やや大きな都会に入ってきた、が違う駅だった。

モンペリエに着いたのは、
予約切符に示された所要時間より2、30分遅れている。
急行とかの関係なのだろう、 結構大きな都会だ。
中世からの歴史の有る医学の街とか、一目みたいけど、そんなことも言ってられない。
直ぐにインフォーメーションに飛び込み、
時間表を漁ると、次のトゥルーズ行きの時間が迫っている。
窓口へ行って、
「この汽車に乗れなかったけれど...」
と言うと、何か切符を発行してくれた。
「あと、5分後に発車だ」
と急かされる。
慌てて飛び乗る、今度は時間表があるので、停車の度に時間と駅名をチェック。
「カルソンヌは見て死ね」と言われるカルソンヌも素通りだ。

トゥルーズでは少し時間があったのでガロンヌ川でも一寸見てやろうと歩き出したが、
何だか道が曲がりくねっていてややこしい。
諦めて引き返し、駅前のカフェでビール、結構近代的な都市だ、背広姿が目に付く。

トゥルーズ



それにしても、旅というのは何とか成るものだ。
変な自信を持つ。
今日のような時に、もし連れが居たら5倍位の神経を使う事になるだろう。
こんなところが一人旅の良いところだ。

予約時間より3時間遅れでブリーブに着く。
フランス北西部、ペリゴール地方と呼ばれている先史時代の遺跡の宝庫、ピレネーもそう遠くはない。



初めての土地は成るべく午前中に到着するようにしている、少し遅れたがまだ日は高い。
駅前のホテルにブリーブ最後の日の予約を済ませ、直ぐ、隣のUROPCAR,
予約してある明日からのレンタカーを今日からに変更の交渉、OKだ。

ブリーブのYH、実に感じの良いおばちゃんが出迎えてくれた。
部屋まで案内し、電気、トイレ、部屋の鍵、
そして、夜11時以降は閉められる表玄関の鍵の開閉の仕方まで手を取るように教えてくれた。
今夜の客は、もう一人のアメリカの老婦人と二人だけとか、
あんまりも居心地が良いので、
「もう1日、宿泊追加出来ない?」
「NO、残念、明日は満員ヨー」
と目と手と口をいっぱいに広げて首を傾ける。
明日は土曜日だ。
「少し行ったCADOUINと言うところに、今度出来たばかりのYHがあるわよ、
そこならレセジーやラスコーも近いから洞窟巡りに絶好だし、とっても良いところよ、そこなら紹介して上げるわ」
と住所、電話番号、簡単な地図を書いてくれた。

さて、と5日間の計画を練る。
この辺のドライブコースの本も昨日無くしてしまっている。
もう一度練り直しだ。
さっき駅で整えた地図MICHELIN、
畳二畳程ある3枚の地図を繋ぎあわせた中央あたりがブリーブ。
今回の旅の芯、ラスコーはブリーブから北西へ2、30KM、 その先がレセジ、
いよいよ夢にまで見た先史時代の洞窟画にお目に掛かれる。
おばさんに紹介されたCADOUINは直ぐその先、
ここから5、60KM、車ならつい目と鼻の先だ。

洞窟巡りはCADOUINを拠点にするのが好都合のようだ。
丸5日間あるから、2日間は周辺を巡り、3日間は洞窟巡りと、決める。

621
おばちゃんと写真に収まって、出発。



明後日の夕方までにCADOUINに入ればよい。
今日明日は行き当たりばったりだ。
おばちゃんが
「今日はどうするの?」
と心配顔で送ってくれる。

今日は、ブリーブから南西へ、
ロカマドゥール、FIGEAC、時間があれば、ロートレックの故郷アルビまで足を延ばそうかな、
など考えながら街を出ようとするが、なかなか街から抜けられない。
こんな時丸い街は便利だ、決まるまでぐるぐる廻っていれば良い。
一回りするのに10分と掛から無い小さな街だ。
やっとそれらしき方向を見付けて街を出る。
見当つけた道よりも一本東にづれた道らしいが、
田舎道で快適そのもの、真っ直ぐな道だが向こうの見通しは悪い。
丘を上がったり下がったりして尾根を越えるからだ。
いい気持ちで飛ばしていたら、どこの国でも見られる風景、
見通しの良い一本道と思っていた道が若干カーブしている。



10分も走ると、凄い街? 村と言った方が適切かも判らない。
まさに息を飲むような村が忽然と現れた。
緑に包まれた一つの丘に、
青みがかったいグレーの尖った屋根が丘の麓から頂上までバランス良く張り付き、
頂上には城壁と塔が見える。







思わず車を停めて、その頂上に向って歩き出す。
ある時は螺旋形の石畳、またある時は苔むした石段、
小道に沿って立ち並ぶ民家、一軒一軒の石壁が素晴らしい。







白、茶、グレー、褐色、等の微妙な階調の石壁、
古い馬車の車輪をはめ込んだ石壁も有る、



所々に、目を射るような鮮やかな赤、紫、白、
黄色の小花がアクセントとなり見事に調和している。
丸い花模様の窓枠、彫刻と呼んだ方が適切な取っ手、
何気なく置いて有る花瓶や石像、



街灯と言うよりランプ、この辺の人々にとっては当たり前の習慣なのだろうが、
趣向を凝らした石と花の造作、その美的感覚の高さに驚かされる。

全く予想外の村だ、フィルムが瞬く間に減ってゆく。
今日はもうこれだけで満足。
教会の扉を押してみた。
誰も居ない、素晴らしいステンドグラスが7枚ずつ両側の窓で輝いている。



こんな良い目に会ってよいのだろうか、神に申し訳が無いような気がする。
村の遠望に息をのみ、小道に立ち止まっては息をのみ、
ステンドグラスに息をのみ、振り返っては振り返っては息をのむ。
2冊のガイドブックには記されていない村、TURRENEという村、琴線をくすぐる村だ。
通りに面した小奇麗なレストラン、一寸立ち寄りたかったが先を急ぐ。


VAYRACという街を通りかかると、小さな露店市の最中、
バナナとチーズを買う、何人かの行列が出来ている。
面白そうなので後に付く、車の中で開くとプリンだった。
いかにも手作りの素朴な味、5Fでお釣がきた。
こんな事をしていると一日が瞬く間に過ぎてしまう。

両側に白、赤、紫、黄色の花が咲き乱れる道を快調に走る。
きつい登り道を上り詰めた台地、パディラック鍾乳洞があった。
着いたのが12時5分前、12時から2時までお昼休み、またうっかりしてしまった。
日記を書いたり絵葉書書いたりする時間が出来た。

直径50M、深さが100Mも有りそうな大きな穴の中にへ、エレベーターを三回乗り継いで降りる。







規模が大きってものではない、
まず、秋吉台の鍾乳柱を1トンとすると、此所の柱は1万トンは有るだろう。
直径が10Mくらいの柱も有る。
ラスコーの洞窟画が1万5千年から2万年というが、物の数ではない。
たらりたらりと、何十万年、何億年も掛けて出来た柱なのだ。
時間の単位が違う。

更に歩いて下りてから、
一寸広まったところに舟付き場が五つあり、11人づつが乗り込む。
岩に頭が触れそうになると、隣の女の子がキャーキャー騒ぐ、
箸が転げても笑うって言うのは何処の国でも同じ、舟が揺れる度に笑い、
船頭の仕草が面白いといってはまた笑い転げる。
大きなズータイして全く屈託ない、太腿は私の2倍は有る。
舟で10分程遊覧、
まだその先10KMは舟で行けるというのだから気が遠くなる。




時間を使い過ぎた、有名な巡礼地、ロカマドォールは帰りに寄るとして、
アルビ、コルドまでは無理のようだ。
美しい街として知られているFIGEACに直行する。


つづく

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