カオサンー2002年秋

「よその人にご迷惑かけないでね」
の声を後ろに聞き流して駅の階段を上がる。

空港第二ロビーに着いたのは9時一寸前だ。
宅急便で送った荷物を受け取り、荷物を入れ替え、チェックイン。
何時ものように、ラウンジでビールを一杯飲んで一息つく。

煙草と日本酒を制限オーバーに買い込む。
ビーマンバングラディッシュではお酒が出ないので
機内用にワンカップも忘れてはならない。

隣席の茶髪青年は職を辞めての外国旅行、
それも海外は初めてとか、タイからインドへの旅するのだと勇み立っている。
カオサンまで一緒に行こうと言っていたが、
バンコク空港で荷物の受け取りやらの内にはぐれてしまう。

丁度ラッシュ時間、エーポートバスの走りが鈍い。
カオサンはシトシト雨、何時もの焼けるような日差しはない。
カオサン通りから1分ほど裏道に入った、何時もの宿、
来る度にホテル代の値上が激しい。
シングル、熱湯シャワー、空調付きで440バーツ、

  

哀れなほど狭い部屋だ、TVはあるがリモコンのない旧式。
清潔ではあるし、まあ、生きていける住環境ではある。
早速、カオサンを彷徨する。


朝、目を覚ますと窓の外を横切っている電線が微妙に揺れている。
「二日酔いかな」
と目をこするが揺れは止まらない。
耳を澄ましても物音はない、地震でも無さそうだ。
何かに共鳴した自然現象かな、不思議な気がして眺めていると、
突然、小動物が横切る、リスだ。
カメラを取り出したが、こんな時、デジカメは役に立たない。
窓をこじ開けて外を眺めると電線の彼方に僅かではあるが緑が生い茂っている。



電線一本が彼らの生活道路なのだ。

 

窓の下の裏通りには、もう、バックパッカー達の往来が始まっている。

昆明行きチケットを探しまくる。
精悍な顔をしたおばさんの所が一番安い。
半年オープンで9550バーツまで値切る。
何回か利用したことのある日本人経営の店では9880バーツ、
ビザの事もあるし日本語が話せるのが心強い、結局、ここに決める。
ところが、ビザ取得の手続きは4日要する、
今日は土曜日、土日はお役所がお休み、後6日中国へは向かえない。

以前、「あっちにはもう少し静かな宿があるよ」
ニサラhttp://www12.tok2.com/home/awa/kaosan2/kaosan2-3.htm
が教えてくれたチャオブラヤー川近くの宿を捜し歩く。
4、5軒訪ね歩くが、何処も、
「full」
と断られる。
カオサンの客がこちらへ移って来た様だ。
元の宿に戻って値段交渉、殆ど負けてくれない。
一応、宿は決まった。

通りのやや中央の店に腰を下ろし、
ビールを煽りながら通行人を観察する。
相変わらずいろんな人が通る、様々な人種、世代のオンパレードだ。

 

 

 

 

 

 

目の前を風のように通り過ぎる人、人、人.....
そんなに急ぐ理由もないだろうに、何故か誰もが早足だ。

物売りもいろいろ動いている。

 

 



こうしてぼんやり人を見ているとローマでのBINを思い出す。
「結婚する」
とメールが来たきり音信普通になっているが幸せにやってるのだろうか。

突然、猛烈な雨、この時期、1日一度はスコールがやってくる。
ここの住人は実に手際よい、毎日のことで慣れっこなのだろう。
カオサン通りが一変する。

常食になってるラーメンを食べて按摩、7,8人の客、
驚いた事に、按摩をされているのは若人ばかり、それも女性が多い。
140バーツ/時間、アンマリ気持ちが良いのでチップを弾む。


近くの国立美術館、
国立博物館の充実振りには感心したものだが、
美術館はお世辞にもお粗末だ。
16世紀から19世紀の仏教物、戦記物が多い。
独特の金色が特徴なのだろうが、底が浅いようだ。
近代絵画に至っては、皆、欧米の近代作家のニオイガして、
タイ風にアレンジしている感じだ。
客も極端に少ないのが頷ける。

美術館を出るとトクトクがやってくる。
「何処へ行くの、いいところへ案内するよ」
見事な日本語、断ると、
「you stupped」
ときた。


あと三日、
アユタヤと水上マーケットに行ってみようと思い立つ。

アユタヤ行きのチケットを買いに行きながらバスツアー、
バスツアーといっても、
普通の乗り合いバスに乗って終点まで行って、また、戻ってくる、
例のお得意なやつだ。

乗り合いバスの料金で、バンコク見物だ。
まず、ファランポーン駅の方向へ向かうバスに乗り込む。
地図を縦横にしながら、現在地を確かめる。
途中から駅の方向とはずれた方向に向かい出した。
多分、ここがバンコクの中心と思われる目抜き通り、
ラーマ一世通り?、前後が車でぎっしり詰まっていて、
ノソノソと走るのだが、バンコク見物にはお誂え向けだ。
サヤ−ムスケアを過ぎるとバスは右に曲がる。
暫く行くと左手に大きな公園、
地図によると、これがルンビニール公園だ。
窓の外と地図を見比べながら、
「俺の市内見物手法はたいしたもんだ」
などどとほくそえむ。
繁華街を出るとバスのスピードがいきなり速まり、
地図の下方へぐんぐん向かう。
あっと気が付くと、地図の道を見失う。
磁石を取り出す、バスは真っ直ぐ北に向かっている。
どうやら、地図をはみ出したらしい。
スケールの大きい方の地図を見てもバス路線は載ってなくて見当が付かない。

「ええい、ままよ」
と居直る。
「バンコク郊外の住宅地、市場はこんなものか、
いずれ、繁華街の方へ戻るだろう」

 

たかをくくっていたが、更に、バスは北に向かう。
もう二時間は乗ったままだ。
流石に心配になってきた、タイ語は一切判らない。
あれだけ混んでいた客も疎らになっている。
後ろの席にチョコンと座っている女学生に地図を示し英語で尋ねてみた。
「今何処を走っているの?」
流暢な英語が返って来た。
地図を広げて、
「今、ここです」
「ファランポーン駅へ行きたいのだけど」
「次の停留所で降りて○○番バスに乗り換えてください」

あたふたと、バスを降り道路の反対側へ、
何台か待ったが○○番はなかなか来ない。
行く手を見ると大きな橋が見える、
いずれにしろ、あの方向へ行けばいいのだ、
と見当を付けて次に来たバスに乗り込む。

車掌が何か怒鳴っている。
もっとも、バスの騒音が酷くて怒鳴らなければ聞こえない。
地図を示して、
「ここへ行きたい」
と言うと、
「このバスは行かない、○○番へ乗り換えろ」
お金を払おうとすると、
「要らない、あそこの停留所で待って、○○番へ乗れ」
バスを降りると、そのバスはUターンしてもと来た方向へ走り去った。
成る程と納得、しかし、親切なもんだ。

辿り着いたファランポーン駅の窓口で、
「明朝のアユタヤ行き一枚」
切符売りが、手を横に振って何やら言ってる。
やっと、理解できたのは、
明朝でなければ売らない、らしい。
案内書には2日前から買える、とあるのに。
その辺の事情を説明したいのだが、うまく説明できない。
以前に何処かの駅でいきなり切符を買おうとしたら買えなかったことがある。
一抹の不安を残しながらカオサンに向かう。

今度はカオサンへの帰り方が判らない。
駅の案内所で聞くと、
「○○番バスが行きます」
その○○番バスの乗り場が判らない。
何回か尋ねる。
「そこ」
と指差すのだが「そこ」が見つけられない。
結局、タクシーを拾う。
旅先ではなるべくタクシーを使わない、がモットーなのだが、致し方ない。
60バーツ、なんだかほっとしてチップまで弾んでしまう。
カオサンはまだ喧騒の真っ只中だ。



カオサンは、1999年2000年、とこれで三度目、
正確に言うと、昆明への行き帰りに寄っているので五度目になるが、
何回来ても飽きない。
ビールを飲みながら、
ただただ、ボーっと通りを眺めているだけで満足なのだ。

続く