アユタヤ

目覚ましで飛び起きる、5:30。
アユタヤ行きは6:40、表に出てタクシー。
駅に着く、6:00。
窓口でアユタヤ行きの切符を買う、
幾らか良く聞き取れない。
ナントカ20バーツと聞こえたような気がした。
ポケットから摘み出した120バーツを渡すと、切符を送り寄越す。
すんなりと買えて、まず、一安心だ。

まだ時間がある、一休みして考えると一寸料金が高い感じがする。
切符を見ると20バーツと書いてある。
切符の見方も判らないので自信は無いがどうもおかしい。
まあいいか、とは思ったものの時間は十分あるし物は試しだ。
窓口へ行ってクレームをつける。
最初はとぼけていた係員、
お巡りさんなどを呼ぶ仕草をして粘ったら、
「I'm sorry」
とか言って100バーツ返してくれた。
やってみるものだ。


ここららしいと思ったプラットホームで列車を待つがなかなか来ない。
プラットホームを間違えたのかと行っては返しするが間違いは無いらしい。

同じホームに立ちすくしている若いお坊さんと目が合った。
彼が英語で話し掛けてきた。
「どちらから?」
「日本です」
「おお、日本ね、日本は平和で良いですね、これからどちらへ」
「アユタヤです」
これがなかなか通じない、メモに書くと、
「おお、アユタヤね、あそこは良いところです」
このアユタヤの発音がアユタヤではない、
微妙にタとヤの間にHが入っている。
「私は、スリンの方へ行きます」
まだ20才台と思われるのに静かな佇まいだ。
スリンは二年前に行ったことがあるが、あちらには仏教遺跡が多い。

お坊さんは、
長さが50cmから60cm位あるだろうか、
ピカピカに光った金属棒を抱えている。
「その棒は何ですか」
尋ねてみた。
彼が何々と説明するが理解できない。
アンブレラ、という言葉が入っていたような気がして、
「傘ですか」
と問うと、首を横に振って何やら仰る。
テント?、よくよく聞いてみると野宿のときのテントの柱のようだ。
その金属棒以外荷物らしい荷物も持っていない。
なんとなく頷けた。
お坊さんも大変だ。
「列車が来ました」
と、深いお辞儀をして、何回か振り返りながら離れていった。

気分爽快になった。
アユタヤ方面行き列車が入ってきたのは一時間も待ってからだが
不思議と何時もの不快感は無い。


二等車といった行った筈だが乗ったのは一般車のようだ。
走り出したが何回も止まる。
走っているときはそうでもないが止まったときの暑さは堪らない。
狭い通路を物売りが引っ切り無しに通る、食べ物が多い。
前後左右は普通のタイ人、カオサン人種とはまるで違う。

隣のおばさんが、
「何処へ行くの」
といってるようだ。
「アユタヤ」
と言うと頷いた。

そのおばさんが、
「次がアユタヤだよ」
と教えてくれた。
荷物の一つを忘れかかると、
「ほれほれっ」
って感じで忘れ物を手渡してくれた。

改札口を出ると女が寄って来た。
「何処へ行くの、私が案内するよ」
私好みの女性で、ふっと、その気になったが思い止まる。
案内書にチラッと書いてあった通りに
真っ直ぐ4,5分歩いたヘリー乗り場へ、2バーツで向こう岸だ。
アユタヤは周囲をぐるりと運河で囲まれている。





さて、それからが問題、
昨夜、何時もの様に深酒でオボロオボロ眺めた案内書、
二点だけは絞ってきたが、どう行ったらよいか見当がつかない。
小型トラック改造如くの乗り合いバスを何台か乗り過ごす。
腰を下ろして改めて案内書の地図を眺める。

来合わせたトクトク、
30バーツを20バーツに値切って目当ての博物館へ向かう。
地図と磁石を重ね合わせるとトクトクの行く方向は間違い無い様だ。
10分ほどで着いた博物館は休館、今日は月曜日だった。
十分承知の筈のトクトクのウンちゃん、言葉巧みに次を誘う。
さっき値切った20バーツに簡単に応じた魂胆が見え見えだ。
しつこく付き纏うのを振り切り、休館の博物館を横目で見ながら、





博物館の塀に沿って歩き出すと、



木陰から古い佛塔が見え出した。

案内書の大まかな地図ではあるが大体の土地勘は頭に入った、
しかし、スケールがピンと来ない、
歩くとなるともう少し詳しい地図が欲しい。
「ままよ」
と歩き出す、10分も歩くとツーリスト・ポリスの看板、
詳細の地図を手に入れたがタイ語でチンプンカンプン。
それでも、大体の見当は付いた。

ワット・プラ・シー・サンペットの入れ口、
観光客の数がポツリポツリと増えてきた。
汗が吹き出る、入れ口前の露天に腰を降ろして、まず、ビールだ。
隣でTシャツを売ってる男が話しかけてきた。
日本語が上手い。
「日本語上手ですね」
「そうよ、ここに来る観光客の70%は日本人よ。
日本語話せないと商売にならないよ」
小母さんが椅子を出してくれた、愛想がいい。

 

時たま、客が来て冷たいものを一気に記に飲み干す。



目の前を、象が連なって通る、



乗っている日本人らしい観光客は大はしゃぎだ。

中へ入る。
ここは五つの塔が売り物だ、とさっきの男が言っていたが、
見応えがある。



アユタヤ文明の事も知らないし、佛塔にも余り興味は無い。
ただ、遺跡の中を歩いているだけで満足なのだ。

帰りがけに、また、さっきの売店に寄る。
相変わらず暇そうだ。
小母さんが冷たいタオルを顔に被せてくれた。
気持ち良い。
Tシャツ売りの男も暇そうだ。
「何時もこんなに客が少ないの?」
「ノーノー、この時間帯は何時も暇なんだ」
と時計を見る。
「もう直ぐ、日本人がゾロゾロやって来るよ。
ほら来た、あのバスも、あの後ろのバスも日本人だ」
観光バスから、日本人が繋がって広場に降りてくると、
男も、小母さんも、
今までの温和な顔が嘘の様な厳しい顔付きで、
声を張り上げて広場に向かい突進して行った。


全て歩こうと決める。
日陰を選びながら、地図と睨めっこでトボトボ歩く。
右手に広々とした公園、牛が草を食んでいる。




ワット・ブラ・コリタート、
ここは二つに絞った狙いの一つだ。
木の根に覆われた仏像、




仏像と石壁、木の根、
三者が一体となった素晴らしいデザインだ。






首の無い坐像、



その坐像の手先が様々な形に朽ち果てている。

 

 

遺跡をぐるりと一周する。

 

 



アユタヤを見たぞ、と言う感慨が湧き上がる。
もう、アユタヤに未練は無い。

また、出口の露天に腰を下ろしビールを煽る。
小母さんと三人の娘さん、18,16,12歳だそうだ。
「絵葉書買ってぇ、これ買ってぇ、あれ買ってぇ」
と始めはしつこかったが、諦めたようだ。

暫く話し込む、4人から矢継ぎ早に質問が飛んでくる。
「幾つ?」
「奥さん居るの?」
「奥さん、綺麗?」
「子供は?」
「娘さん綺麗?」
家族の写真を取り出すと、
4人が頭をくっ付けて食い入るように眺める。
小母さんは離婚して女で一つで三人の子供を育てたのだそうだ。

デヂカメで写真を撮ってやるとキャーキャー喜ぶ。







写真を送ってあげる約束をする。
4人が共同で英語のアドレスを書く。

一番下の女の子が、日本銀貨の百円玉を10っこ取り出した。
「お札に換えて呉れない」
小母さんが、銀貨は銀行で換えてくれないの、と説明する。
財布を探って1000円札、
「ハイッ、プレゼント」
ビールの酔いと、一時の安らぎに感謝だ。
女の子は飛んで跳ねて大はしゃぎだ。
真ん中の子が、
「不公平」
と言って口を尖らせた。


船着場に向かってひたすら歩く。
アユタヤも遺跡は西の方に固まって居て、
東側の方は何の変哲の無い町並みが続く。
全て歩く、と決めたものの、暑い。

2バーツで渡し舟、





駅で切符を買っていると列車が入ってきた。
若い女性駅員が、
「あれよ」
と指差す。
休むまもなく、慌てて乗り込む。

一番前の列車の一番前の席、適当に風が入ってきて快調だ。
30分もすると列車が止まった。
エンジン音も無く止まったきり動かない。
ゾロゾロ降りだした客の後ろに付く。
完全にエンコしたらしい。
一応プラットホームがあるから駅らしいが、
田園地帯の真っ只中の無人駅らしい。





怒っている人は誰も居ない。
これは野宿かな、と覚悟を決めかかる。
それでも、一時間もして別の列車がやって来た。

列車は遅れを取り戻さんばかりにバンコクへ向けひた走る。
広い平野の左右に沼が切れ目無く続く、水の国だ。
しかし、耕地は思ったより少ない。

続く