残念バンコク記7


まだ一週間ほど時間がある。
三時間あれば昆明、二時間ならアンコールワット、一時間ならチェンマイまで行ける。
昆明の拠点は引き払ってしまったし、
アンコールワットは病み上りの身には暑過ぎるだろうし、
チェンマイに食指が動く。
待てよ、チェンマイならスリンの方が良いかな。
スリンへ行けば二組の知り合いがあるし・・・
そう思ったら無性にスリンの彼らに会いたくなった。

しかし、6年前の話だ。
二日程お世話になった夫婦の一組は、
日本に居たことがある奥さんの「あけみ」と言う日本名しか判らない。
家は駅前の判り易い所にある。
見ず知らずの私を彼方此方のイサーンの遺跡、200kmも車で案内してくれた夫婦なのだ。

もう一組は、屋台の小母さん一家だ。
娘さんが名前住所を書いてくれたメモも持って来てない。
だから名前も何もわからない。
たった一晩だが底抜けに明るい時間を過ごした屋台、
ただそれだけのことだが、
私にとっては数少ない印象的な夜の記憶が脳裏の奥底に刻み込まれている。
そんな屋台の小母さん一家なのだ。
小母さん一家が店を出す道路、
夕方になると屋台で道一杯になるその道路はしっかり覚えている。


ま、何とかなるだろう。
前日、切符を買いに駅に行く。
バス路線図を見ながら、駅行きの番号のバスを待つ。
一向に来ない。
3,40分待ったが痺れを切らしてタクシーを止める。
空いてれば20分の距離を1時間も掛かる。

切符は直ぐ買えた。
以前に来た時よりもインフォーメーションがしっかりしている。
帰り際、頭に描いているバス路線のバスの発着所を尋ねる。
インフォーメーションの男は何やら大声で言ってるが判らない。
「兎も角、バスの発着所が知りたいんだ」
の意味のような事を言うと、
「listen to me」
と両手を広げて私を制する。
ゆっくりと詳しく説明してくれた。
なんと、この一年の間に出来た地下鉄がこの駅に通じているのだ。
苦労して来た道を簡単に帰れるし料金も三分の一だ。



翌朝、
地下鉄なので時間の計算がし易い、
きっちり30分前に駅に着いた。
改札口などは無くホームに直行する。
行き先、発着時間が明記してあり判り易い。



ところが列車が仲々やって来ない。
皆当然のようにゆったりと待つ。



目的地のスリンはバンコクから東東北約600kmに位置する。
6時間の旅は結構きつい。
2,3年前に来た事のあるアユタヤを通り過ぎる。
熱射のアユタヤ遺跡を彷徨した記憶がよみがえる。
考えてみたら、あの時と同じ汽車なのだ。
アユタヤからが長い。

二人の若者が大きな袋を下げ物売りに来る。
「ビール!」
これが仲々通じない。
「ビール、ビヤァ、ピィジョウ、ワイン、・・」
いろいろアクセントを変えて話すと判ったようだが、
ノーノーとコニコしている。
次に来た時に持って来てくれるかと期待したが、
ニコニコして通り過ぎた。

古本屋で仕入れてきた2冊の本も読み切った。
険しい山間を通り抜けるとコラート、イサーン高原の玄関口だ。
6年前、
スリンの夫婦にイサーン高原の遺跡を幾つか案内され、
この街まで送って貰ったのだ。

突如猛烈な雨が降り出した。
本が読めないほどの暗さになる。
雨が上がると雲の切れ目から数条の光線がイサーン高原に刺さり込む。
何かの絵で見た様な風景だ。


スリンへ着く。
この前泊まった事のあるホテルへ直行。
歩いて5分だ。
荷物を置いて直ぐ外に出る。
一刻も早く彼らに会いたい。
あの夫婦者の家はホテルの2,3軒隣の筈だ。
ある筈の家の辺りを何遍も行ったり来たりするが見つからない。
同じような家並なので、この家と言う確信も持てない。
同じ道をジョロジョロしながら行ったり来たりするうちに、
私に対する怪訝そうな視線を感じ始める。
タイ語は全く話せないし、まして、目指す夫婦者の名前も知らないのだ。
それでも勇気を持って何人かに尋ねる。
何人目かに片言英語が話せる男が親身になってくれた。
しかし、当方も片言英語だ。
「以前、日本に居た事のある奥さん」
の意味が通じたらしい。
その男は私を引っ張って一軒の家に入る。
家族が全員出てきた。
男の話を聞いていた主人が奥の方から写真を取り出して来た。
「日本に居た事のある女性はこれだ」
と結婚衣裳の写真を示す。
残念ながら別人だ。
居合わせた全員が自分ごとの様に残念そうだ。

夕方、
今度は屋台の家族を探す。
普通の道路が夜になると歩行者天国のようになって屋台が立ち並ぶ。





ものの100mもない。
確か、この辺り、と店の小母さん達の顔を一人一人覗き込む。
似ているようだが違う。
だんだん自信が無くなって来た。
尋ねたくとも質問のしようが無い。

100mを何回か往復して諦めた。
一軒の屋台に腰を下ろす。
隣の二人の男が話しかけて来た。
お互いに謙遜しながらお互いを紹介、
一人は統計学の権威、もう一人は心理学の権威、
名刺を見るとスコータイ大学の教授だ。
余り飲まないけどよく食べる。
私が余り食が進まないのを見て何か運んできた。
ココナツ粥だ、とても栄養が有るんだそうだ。
この二人に尋ね人の協力を求めようと考えたが、
お願いのしようがない。
何かいろいろ話しかけてくれたが、
尋ね人のことで頭が一杯だったのか、
昼間の熱気で酔いが早く廻ったのか
どんな話をしたか覚えていない。
お二人は礼を尽くして帰って行った。




翌日、
スリンの東40km程のシーコーラブーム遺跡を訪れる。
此処でも列車が仲々来ない。
3,40分の遅れは当然のようだ。



ホームで杯を重ねる若者。
トイレの番人は居眠り。

小さな田舎駅に降りたが右も左も判らない。
案内書の案内通りモトサイを利用、ものの5分。
人っ子一人居ない。
切符売りの小父さんが何処からか現れた。
モトサイの男に時計針を示しながら、
「30分待っててくれ」
と頼む。
「え、30分も?」
という様に男は芝生に転がる。



以前見たクメール遺跡を想像して来たが、
全くの期待外れ、極めて小規模だ。
整備は行き届いている。
切符売りの小父さんが小枝を剪定している。



転がっている石の彫刻、
文様が面白い、動物の顔の様でもあるし、何かの紋様の様でも有る、





















5分もしたら一回りしてしまった。
駅に戻ると、またまた待ちに成る。



ホームの前の線路を横切って人々が行き来する。
自転車を持ち上げて通る人も居る。



典型的なイサーン高原の景色を見ながらスリンへ戻る。




昨日は二組の知人に会えなかったが何か方法は無いか思案する。
今回、スリンは全くの予定外、
住所も写真も持ち合わせていない。
その写真で思い付いた。
インターネット・カフェで私のホームページから写真がコピー出来る筈だ。

早速、インターネット・カフェを探す。
二組の写真を辿り出し、
「これをコピーしたい」
と依頼する。
高校生くらいの男の子が2,30分弄っていたが、
「コピー出来ません」
確かにホームページ上の写真からコピーが出来ない。
「じゃ、こうしたら?」
と、一旦マイピクチャに落としてコピーしたら成功、
兎も角、二組の写真が出来た。

期待を込めて、
まず、夫婦者の写真を彼等の家の隣と思しき辺りの食堂の小父さんに見せると、
その小父さんが反応した。
写真を見つめてから、
バケツを抱えて水を撒く様な仕草をして両手を大空に向けてパッと広げると、
黙ってスタスタと奥へ引っ込んで行ってしまった。
「トンずらしてしまった」
とも、
「俺は何も知らんぞ」
と言うようなポーズだ。

諦め切れず、写真を手にまた何人かに尋ねる。
一人の男が付いて来いと私を引き回し始めた。
まず、この辺りに古くから住んでいるらしい人に尋ね、
一軒の薬局に入る。
此処があの夫婦者の家だったところだ。
主人は、あの夫婦者が今何処に居るかは判らない様だ。
「あそこの家の聞いてみなさい」
と指差された家、さっき両手を広げる仕草をした小父さんの家だ。
「もう、いいから・・」
と言いたいのだけど言葉が通じない。
私を引き回していた男が小父さんの家の前で大きな声を上げる。
さっきの小父さんが出て来て、写真を見て私を見てから、
また、さっきと同じ仕草をした。
そして、
「何か書くものを出せ」
と手真似する。
私が差し出したメモに何やらタイ語で書いた。
私を引き回していた男も、
「どうすることも出来ない」
という風に両手を広げた。

バンコクに戻って病院に行った時、
通訳さんにメモを渡し翻訳をお願いした。
若い通訳さんは何人かのタイ人の娘さんたちと「ああでもない、こうでもない」
と言い合ってるようだったが、
「どっか 行ってしまった」
と書いてくれた。
そして、直ぐ、ふっと寂しそうな表情をして事務所の奥へ消えた。
話題を避けたい様だった。



どうも、日本で言う夜逃げの様なものらしい。
あの如何にもボンボン風の亭主には経営は無理だったのだろう。



上の左が現在の薬局、右が6年前の彼らの家。
下が6年前の二人。



儚いものだ。


夕方、気を取り直してもう一組、屋台の小母さん一家を探しに出る。
こちらは直ぐ見つかると思っがそうは行かない。
写真を見てかぶりを振り、
「あの人に聞いてみな」の何人目か、
如何にもこの辺りの古株らしい小母さんが知ってるらしい。
「あっちだ」
小母さんが指差す暗闇の方へ行く。
大きな消防署の入り口のようだ。
ウロウロしていると、さっきの小母さんの所に居た若者が寄って来て、
「こっち、こっち」
と先に立つ。
広い消防署の庭を突っ切った所で数人の男たちがテレビを見ながら酒を飲んでる。
何人かが寄って来た。
写真を見せると、小母さんの亭主らしい写真の男を指差し、ワイワイ喚声が上がる。
「ああ、ダレソレだ」と言ってるようだ。
一人が奥の方へ声を掛けると男がのっそり出てきた。
残念ながら小母さんの亭主ではない。
その男は英語が話せる。
「彼は今夜は居ない、明日来れば会える」
との事だ。
一日延長して会うほどのことでもない。
写真のコピーを渡して引き上げた。

 

6年前の写真だ。
みんなどうしているだろう、相変わらず逞しく生きてるに違いない。
置いて来たこの写真を見てあの夜を想い出しているかも知れない。





結局、二組とも会うことが出来なかったが、
不思議と無駄足だったという気がしない。
むしろ、彼等に会えた以上のような満足感に溢れる。
あの無愛想だが人懐っこい人達との接触だけで十分だ。
二組の彼等に会いに行ったのではなく、
人情に触れたくて、の小さな旅だったのかも知れない。
姿かたちを変えても時空を超えても、
人情や生活は変わらないのだ。

しかし、今度こそ、もう二度と彼等には会えないだろう。
旅をすると、人との出会いはこのようなケースが多い。

偶然行き逢って、語り合って飲み明かして一時の心を伝え合う。
何十億の人間の中の何人かの人々、しかも、その一時、
そこに何かがある。
ポトリと音を立てて落ちる大河の一滴のようだ。

つづく