ソウルの巻4

昨日の骨董品屋で篆刻を、結局、言い値で注文する。
今日はまず民族博物館、
昨日行った中央博物館と同じ景福宮の敷地の中にある。
入れ口を入ると、石像群、いかにも庶民的な石像が立ち並ぶ。









衣、食、住、冠婚葬祭、農機具、装飾、玩具、手工芸、
様々な分野の生活の歴史が順序良く陳列されている。





中で目を惹いたのは、印刷技術、グーテンブルグよりも、
2百年も早く韓国に活版の技術が発達したのを知り驚く。
世界最古と言う。


昨日見残した景福宮、



 





李朝を建国した李成桂が造営した王宮。
日本の宮城のようなものか。
かっては12万6千坪の敷地に2百棟の殿閣が威容を誇った。
ここも文禄の役で殆どが焼失し、250年後に再建された。
1900年代、日本軍によって、総督府建設の為に取壊しや移転が
あったが、戦後に再建され、未だ、途上のようだ。

突然、威容な建物が眼前に現れる。
花崗岩の長い柱に支えられた大楼閣、







太い柱を数えると48本あった。
当時の迎賓館として華やかさを添えた慶会楼、国宝だ。
背後に北岳山?が白岩を剥き出している。




Kさんお勧めの曹渓寺は宿から真近い。
大きなビルの谷間の中にすっぽりと嵌ったようにあった。









韓国仏教の最大宗派、曹渓宗の総本山だ。
1300年代に創建された大雄殿が堂々と辺りを払う。
広い堂内では、善男善女が祈りを捧げている。
観光客の姿は無い。
周囲の透かし彫りを丹念に観て廻る。





 帰り道、篆刻を受け取り、あの緑青の水差しも言い値で買う。
「仮名用なので優雅に彫って」
と依頼したつもりだが、一寸、角っぽくて不満だ。
韓国の「優雅」と日本の「優雅」は違うのかもしれない。

 



仁寺洞をぶらつく。
白磁、青磁の店、お土産店が限りなく並ぶ。







こう言う通りは歩いているだけで楽しい。
気の利いた喫茶店も幾つか間に挟まっている。


さて、お目当ての韓国伝統芸能。
貞洞劇場は歩いても行ける距離だが、バスに乗ってみた。
たったの一駅だ。

離宮のあった徳寿宮の裏手の小奇麗な石畳の小道を登る。
爽風の通り抜ける小道の三々五々のベンチ、
恋人たちが語り合っている。
映画の一場面をみているようだ。

小道を上り詰めるとレストラン風の洒落た建物、これが貞洞劇場だ。
アシアナ搭乗券を出すと30%引きなのが嬉しい。



シンボルを剥き出しにした大胆な男性像、
女性の裸体を大きくデザインした壁画、
それが不思議に不釣合い無く調和した小庭園の木陰で一服する。





入れ口を入ると、民族衣装の娘さん達が出迎える。
まず、お茶のサービス。
ロビーでは、韓国衣装を纏い記念写真をとる人々でごった返す。







白人が多い。

さて開演、
舞台に引きずり込まれる。
琴、太鼓、笛、見た事も無い弦楽器
華やかな踊り、静かに沈んだ踊り、躍動感に溢れる踊り、
瞬く間に時間が過ぎる。

電光掲示版や、プログラムには、日本語で、
ファンガム、サムルノリ、サルプリ、パンソリ、オゴム、
等々有るが、終わってみると、どれがどれだか判らない。
日本の浪花節と漫才を一緒にしたようなのがパンソリらしい。
頭の上の白い布を見事に操作して勇壮に踊るのがサムルノリ?
どれもこれもが、伝統的な祭りや儀式の場で演じられたものだろう、
民族色が漂う。

舞台が終わると、庭で、踊り子たちと客が一緒になって踊り狂う。





凄いエネルギーだ。
白人、黒人に交じって日本のおばさん達も頑張っている。
暫し時を忘れて、雰囲気に呑み込まれる。
ソウル最後の晩に相応しい饗宴だ。




早朝5時、
仁川空港行きのリムジンバスの乗り場も歩いていける。
バスに乗り込んで、物足りなげに窓の外を見遣る。



もう、ソウルは動き始めている。

空港への道は最近の開通らしい。
早朝のソウルを抜けると、田園、海岸、
あっという間に空港だ。
予定より一時間も早く着いてしまった。

時間を持て余しているとつい要らない買物をしてしまう。
徹して来た貧乏旅行が、空港でフイになる。
時間とカードは曲者だ。

今回のソウルは、鐘閣、仁寺洞周辺で終わってしまった。
旅行中、よく試みるバスツアー、
終点まで行ってまた戻ってくるあのバスツアーもやらなかった。
この4,5年での体力の衰えをひしと感じる。
あと、何回、こんな旅が出来るだろうか。

おわり


長々とお付き合い戴き有難うございました。
世情に無関心な私が軽はずみに世情に口出ししたり、
あちこちでの、
「....らしい」
「....のようだ」
の連発、キチンと調べることをしない横着、
生来の世情音痴、横着者とお許し下さい。

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