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メコンに沿って(3)
ヴィエンチャン

タイからメコンを渡りラオスのフェサイに入り、
ルアンパバンを経てヴィエンチャンへ向かう。
ルアンパバン空港もフェイサイ空港に毛が生えたようなものだ。



時間待ちに入ったレストランの真ん前に滑走路が開けている。 
滑走路の向こうには緑の丘が続く、その丘に2、3人の人影が現れた。  
ゆっくり眺めていると、その人影は滑走路を横切って此方へ向かってくる、客らしい。
次に天秤棒を担いだ二人、そして、今度は、滑走路の左手からオートバイだ。



ラオスの若夫婦、目付きが印象的だ。

突然、スコール、びしょ濡れで飛行機に乗り込む。
飛行機はメコンに付かず離れず飛んで行く。
見渡す限りの平原の上に出るが、耕地は少ない。
一時間もしないでビエンチャン、流石、首都の空港、





フェイサイ、ルアンパバン空港に比べると段違いだ。

  真っ直ぐに、タクシーでお目当てのホテル?「古都」を目指す。
ところが、運ちゃんが判らない、「koto」の発音が通じないらしい。
地図を示すと運ちゃんがうなずく。
街には高層ビルは見当たらない、
だだっ広い通りを行き当たった凱旋門?の辺りを右に折れる。
飛行場から市街を通り越し、更に地図をはみ出る、 タクシーで25000キップ。


久しぶりの日本酒

日本風の暖簾に「古都」の文字、
一階が日本料理店、二階がホテル?になっている。
当然、TV, エアコン付きだ。



早速、納豆、塩辛で日本酒だ。
相棒が、
「一寸、探検して来る」
と散歩してる間に更にお銚子三本。
表に出てトゥクトゥクを捕まえ、
「30分程、街を廻って」
と走り出す。
何処をどう廻っているか全く判らない。
日が暮れた街灯の無い道は恐ろしい、
さっき、空港から来た時に見えた凱旋門?に出たところで降ろしてもらう。
気持ちばかりの照明に浮き上がる凱旋門の周辺には二人ずれが屯す。
暗がりには妖しげな男がウロウロしていて不気味だ、草々に引き上げる。


ビエンチャンにも有った紅灯の巷

一眠りして、二人で街の中心にさ迷い出る。
赤い灯の灯る妖しげな店の前で厚化粧した女達が手招きする。
相棒が、
「一寸、見て来る」
と、その一軒に、ずかずかと入って行った。
「大した事はないわ」
暫く、付近を彷徨、殆どの店がシャッターを下ろし、
紅灯の巷の一角を外れると人通りも極端に少なくなる。
ビヤーホールを見付けた、学生風の白人の数人が屯して騒いでいる。
声は大きいが真面目そうな若者達だ。
男5人、女2人が割り勘して帰って行った後に静寂が訪れる。


中央市場

ゆっくり起きてビエンチャン見物、先ず、中央市場を覗く。

 



迷路のような市場の中は、人息でムンムン、
有名なフランス銘柄の衣類、高級そうな菓子、食料品、日用雑貨品、何でもある。
電気製品がズラリと並ぶ、ステレオ、TV、ミシン、電気釜、カメラ、ゲーム機まである。

 



パナソニックアルカリ電池が4本25000キップ、ルアンパバンでは22000キップ、
フェイサイではコダック品が22000キップだった。
市場の中に両替所があちこちにあり、その一個所の傍らで、
両腕、肩、背中いっぱいに竹製品の持って立ち売りの女の子、
中学生くらいだろうか、 円らな瞳をパチリ開けてただただ立ち竦んでいる。
小さなもち米入駕籠を購入、値段は忘れたが驚くほど安い。
暫く行って振り返ると、彼女は地べたに腰を下ろしている。
格好の客が来ると立ち上がっているようでもある。

市場の一角に畳一畳程の店が並ぶ、
時計の修理屋と手作りの装飾品屋、その先は、屋台が無秩序に並ぶ。



   




例によって、材木のテーブルと材木の椅子の店でビール、
相棒が、近くの屋台からいろいろ仕入れて来る。
蛙の串焼きも有る。
こんな雰囲気が好きなのは二人が共通している。
飛ぶように売れているのは、西瓜と瓜の切り身、そして、掻き氷?、
ポリエチレンの袋にどさっと入れて、ストローを差込み、輪ゴムで器用に封をする。


ラオスの仏像

博物館が道を挟んで二つ有る。
シーサケット博物館にはビエンチャンで最も古い伽藍が残る、





  



 



回廊は仏像で埋め尽くされている、2100個有るそうだ。
相棒は、
「出来が悪い」
と足早に廻る。
確かに、日本の仏像などに比べるとキメの細かい味合い深さには欠けるが、素朴で親しみ易い。

真向かいのホーパケオ博物館、14世紀に王室専用寺院として建てられたが、







19世紀初頭のタイ軍の遠征で破壊され、近年再建されたと言う。
大きな伽藍にクメール風の仏像が威風を糺す。
珍しい石の彫刻も並んでいる。
仏像に趣味のある人にとっては一見の価値がありそうだが。
一つ一つの仏像を丁寧に眺めている中老の日本人婦人に、慇懃に挨拶される。
始めお嬢さんと思った連れの若い女性はガイドだった。


ラオス美人

メコンの川岸の小さな屋台に座り込む、何時ものように焼魚のつまみにビールを飲んでいると、
オートバイに相乗りして来た若い女性が隣に坐った。





何となく打ち解けて、手振り身振りで話し込むが殆ど通じない。
ケラケラとあどけない、高校生らしい。
全く化粧気の無い小麦色の肌は艶々輝いている。
皆で写真を撮って、送って上げる約束をすると、ラオス語で住所を書いた。
何回も何回も振り返って手を振り、颯爽と風を切って帰って行った。


「古都」の女主人は生姜工場のオーナー

座敷で日本人の客と難しそうな話をしていた女主人が話し掛けて来た。



我々がこれから行こうとしているパクセーで生姜工場を経営しているとのことだ。
殆ど日本へ輸出している関係で日本人の知り合いが多い。
私が静岡県に住んでると言うと、
一杉、勝又、勝呂、等々静岡に多い苗字がポンポン飛び出す。
梅干しも作っているそうだ。
50歳くらいか、彫の深い目鼻立ち、潤んだ瞳に若い時のラオス美人振りの面影が残る。


ラオスの女も強い

寝そびれて、ベランダから表通りを見下ろしていると、2、3軒先で壮絶な喧嘩が始った。
30代位の男女が取っ組み合っている、夫婦らしい。
女の方が唸り声を上げて猛烈な勢いで男に襲い掛かる、
男の方は大声を上げてこれを引き離す。
道端に止めてあるピカピカの乗用トラックの荷台で、
子供が三人、身を捩りながら心配そうに成り行きを眺めている。
中から出て来た二人の男が中に入った。
やがて、雄叫びも次第に静まり、元の闇夜が戻った。
何処にも人間が居て、男が居て、女が居て、子供が生まれて、
慈しんで、いがみ合って..人生が有るのだ。


辛抱強く待つトゥクトゥクのお兄ちゃん

朝、何気なく外を見ると、
昨夜乗って来たトゥクトゥクのお兄ちゃんが店の横で、
車の座席に足を投げ出している。
我々が出掛けるの待ってるらしい。
女主人がパクセーへの切符を予約してくれる。
今日の午後便は満員、明日の朝一番の便が取れた。
  ビエンチャンからパクセー、一時間半、97$、月曜日は朝便と午後便が有り、
午後便はパクセー経由でプノンペンまで行く、他曜日は一日一便だ。

昼飯時、店が立て込んで来た、商社マンらしい日本人の連れが幾つかと、
フランス人のアベック、ラオス人らしい青年の一団もいる。
相棒は、鶉の空揚げを齧りながらのラオラオレッドワイン、
これはラオス焼酎に何か果樹酒を混ぜたものらしく赤味がかっている、
彼はこれが好みでご機嫌だ。
こちとらは日本酒に納豆でご機嫌。

昼寝して表に出ると、例のトゥクトゥクのお兄ちゃんがニコニコしている。
朝からずっと待っていたらしい。
泰国農民銀行で、TC$をキャッシュ$に両替、200$が195$、手数料が5$。
凱旋門に登ろうとしたら閉門、昨夜は不気味だったが、
長閑な陽光の中に立つ昼間の凱旋門の周辺は、
幼児が戯れ鳩が飛び、いとも穏やかな風景だ。


メコンんの夕焼け

今日のお目当てはメコンの夕景、時間潰しに近くのビヤーホール。
何処かで見たことが或ると思ったら、やって来たボーイは昨夜と同じボーイ、
何のことはない、昨夜と同じビヤーホールだ。
昼間と夜で雰囲気がガラリと変わってしまうのだ。

未だ明るい内から、メコンの川岸に屋台がズラリと並ぶ、
流石にビエンチャン、屋台の規模が違う。







チェンセーンやチェンコーンと違って、端が見えないほどテーブルと椅子が並ぶ。
日が傾き、空もメコンも真っ赤に染まり始めると、
その屋台のどれもが客で溢れ出す、夕日を好むのは人類共通らしい。

 

帰り掛けるとトゥクトゥクが寄って来る、なんと、例のお兄ちゃんだ。
さっき、降ろしてもらった所からは大分離れているのに。
商売熱心さにほだされて、明朝の空港までも予約した。

「古都」に戻って、冷やっこと辛子明太子で飲み直し、
明日からは暫く日本食には有り付けない。
  日本酒一本5$。
  女主人、
「パクセーで時間が有ったら、私の工場に寄りなさい。
私はこれからバンコクを廻るので、四、五日したら、パクセーに居ます」
渡された名刺には Presidentとある。
「ついでに、この荷物、パクセー空港に息子が迎えに来ますから渡して下さい」
と小さな荷物を二つ預かる。

つづく