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メコンに沿って(4)
バクセーからメコンの船旅

朝5時半、トゥクトゥクのお兄ちゃんは既に待機している。
相棒のお気に入りの子を含め3人のおねいちゃん達が見送る、
それぞれに、5000キップのチップ、相棒は、こうゆう事には目敏く気を配る。
相棒は、純情素朴従順無口の子をこよなく好む。

7時ぴったりにプロペラが廻り出した、ATR-72と尾翼に描いてある。
満席だ。
斜め前に黒でかためた飛び上がるほどの美人、
さっき、出国カウンターで2、3度行きつ戻りつしていたが、どうも玄人臭い。
自分を撮る振りをして写真に収めたが失敗。

ラオスの原野、時折、深い峡谷に白い滝筋が現れる。
日本なら、さしずめ、何とか峡谷とか、
旅行業者の餌食になりそうな景観、耕地が少ない。

可愛い子供連れの親子、2歳と5歳くらいか、二人とも金の首輪とイヤリング、
足は見えないが、お金持ちの家では、
生まれると直ぐ、金の足輪を嵌めると聞いていたが、
代々伝わる形見のような物らしい。
ラオスでも貧富の差が大きくなっているのだろうか、いや、残っているのだろうか。
アジアに全く興味の薄かった私には、
ラオスが戦禍に巻き込まれて酷い時期が有った事ぐらいしか判らない。
少なくも、当初抱いていた戦禍で荒んだ人々、荒れた街々、田畑、山々に、
そんなイメージは全く見出せない。


パクセーでも巾を利かせる中国系

パクセー空港、ラオスでは4つ目の空港、見慣れた風景だ。
斜め前の女も鞄を持って立ち上がった、
ふと、見ると彼女の椅子の下にもう一つ荷物が有る、忘れたらしい。
畦道のような道を歩いて、高倉健が駅長をやった駅のような建物の前で皆荷物待ちだ。 
思い切って彼女に話し掛けた、
「あなたは荷物を忘れてませんか?」
彼女は、ふっと微笑んで肯く。
そうこうしている内にトラックの荷物が降ろされ、それぞれが出口に向かう。
彼女はじっと空を見詰めたままだ。
相棒の、
「おおい、これはプノンペン行きだよ」
で、やっと気付いた。
彼女はプノンペンに行くのだ。
いずれ行くであろうプノンペンが垣間見られた。

迎えに来ている筈の息子さんが見当たらない。
高級車でホテルまで、の見当が外れた。
兎に角、トゥクトゥクでホテルまで。
11$を10$に負けさせる。
AC、温水シャワー付きでまあまあだ。
早速、近くの中華料理屋で乾杯、ここでも、中国系が、一等地で店を張っている。
両替を頼んだら酷いレートだ。

早速近くの市場を探索、凄い!凄い!
歩いているだけでエネルギーが満たされる様だ。


















メコンの船旅

パクセーからコーン島までの空便は現在休業中。
バスの便も有るが死を覚悟の悪路だそうだ。
相棒がコーンの滝に行ってる間はパクセーでのんびり待っているつもりだったが、
気が変わった。

パクセーから更にメコンを南へ下り、カンボジャとの国境近くになると川幅が14kmにもなり、
メコンが一気に滝となって流れ落ちる、
コーンの滝、そんな滝が無性に見たくなった。





ホテルのカウンターの男に尋ねても要領を得ない。
船の発着場だけを教えてもらう。
メコン河口の船着場は、メコンから一段高まった泥んこの広場にあり、
物売りと食べ物の屋台であたかも市場の如くだ。
船便の客と客引きが群がっている。
メコン交通の要所、メコン流域の各地への船便がここから出ているようだ。
発着所と言っても、標識も無いし、船にも行き先は書いてない。

泥んこの崖を降りて、やっとのことで探し当てたムアンセーン行きの乗合船に乗り込む。
巾3m長さが30mくらいの、骨組みが剥き出しの木造船だ。
何本かの柱の上に屋根は乗っかっている。

何時に出発するのかも、何時に着くのかも、途中何処に止まるのかも、判らない。
「まあ、何とか成るだろう」
と覚悟を決める。

  ところが何時になっても出発しない、 客が或る程度集まらないと出発しないのだ。
客引きが懸命に客を連れ込んで来る、
何回も何回もうら若い娘さん達が出入れする、物売りだ。
2時間もして30人程の客が乗り込むと船は動き出した。
直ぐに大きな橋を潜る、
後で聞くと、来年にはタイとラオスとカンボジャを結ぶ幹道が完成するそうだ。
客は皆現地の人達らしい、旅人風情は我々だけだ。
宇治から大阪へ淀川を渡ったのもこんな舟だったのではないだろうか。



 



隣り合ったのは、口中を真っ赤にしているお婆さん、
噛み煙草のような物だろうか、
シンロウと言う緑の葉っぱに石灰を包んだ物を噛んでいる。
息子さん夫婦と二人の幼子、息子さんは常にお婆さんに視線を送る。 
そして、手の甲に刺青をした若者、目付きだ鋭い。 
その隣の中年の夫婦、だらしなく太った旦那は直ぐに横になる、
奥さんの方はキリリとして、いかにもしっかり物らしい物腰だ。

少し離れて座り込んだ相棒、
彼がプラスチックボトルに詰め込んだラオラオを喇叭飲みし始めると、
周囲の好奇さうな視線が集まる。
「何を飲んでいるのだ?」
と尋ねているようだ。 相棒は、
「ラオラオ!」
と言って、また、喇叭飲みすると、周囲の男達の間から歓声が上がる。
物凄い酒豪と見たのだろう。

プラスチックボトルに入っているのが、
5倍ほどに薄められたラオラオなのを知っているのは私だけだ。
相棒は、個性溢れる容姿だけでも存在感があるが、
物怖じせずに誰にでも話し掛ける快活さから、
この様な場所では常に注目を集める存在となる。

  前の奥さんがドリアンを取り出す。
近くの男が鉈を器用に扱いドリアンを割って、車座になって食べ出した。
「お前も食べないか」
と言う風に私にも差し出されたが遠慮した。
いかにも美味そうだ。

手の甲に仏像の刺青をしている若者は静かに煙草を吹かしている。 
暫く観察していたが、以外に真面目そうな男だ。
思い切って話し掛けてみた。
「その刺青は何だ?」
と手振りで尋ねる。
向こう隣の男が意を解したらしく、手振り身振りで説明してくれる。
「ゼスチャー」ごときで、自分の腹に刃物を突き立て、手を左右に振って、「ノー」。
どうも、身を守るお呪いのようなものらしい。

2時間ほどして、初めての港に着く、港と言っても自然のままの土手だ。
手振り身振りで幾らか意志の疎通が出来るようになった刺青の若者が、
「チャンバサック」
と教えてくれる。 漫画のような地図を見ると、まだ、目的地の3分の1も来てない。

船は大きくうねるメコンの左端、右端を擦れるように進む、近回りをしているのだ。
広い直線に出ると船は真っ直ぐに進む。
ふと見ると、
客席から一段高みに有る後尾で舵棒を抱えた船頭がコックリコックリやってる。
私がそれを指差すと、客達が一斉に船頭に囃し立てる。
船頭は眼をこじ開けるとニヤリとする。


ラオスのパイナップルは最高

単調だが快適な船旅が続く、天井から足がぶら下っている。





屋根の上に腰掛けてる客もいるのだ。
前の奥さんが話し掛けて来た、意味が判らない。
刺青の若者が手振り身振りで通訳してくれた。
「ナイフを持ってないか?」
と言う事らしい。
私がナイフを差し出すと、今度はパイナップル。 
奥さんが、見事な手付きで皮を剥き、前に並べた。
「食べろ」
と差し出す。
汁が滴り落ち美味しそうだ、 一切れを戴く。
「パイナップルってこんなに美味しかったのか!」
甘いものには余り強くない私だが、柔らかくて蕩けるような甘さに舌鼓を打つ。
日本で食べるのとは一味も二味も違う。
新鮮なだけでは無いようだ。


露天のトイレ

暫くして、船が止まると、殆どの客がゾロゾロと土手を登り出した、
トイレ休憩らしい。
我々達も皆の後ろについて土手に飛び移る。
土手を登ると少し広まった草叢、建屋は何も無い。
男達は左の方へ、女達は右の方へ、
女達はスカートを広げ草叢にしゃがみ込む。
「ラオスの女達はスカートの下に何も履いてないんだぜ」
と言った相棒の意味が判った。
ラオス女性は、皆、
直径が腰周りの倍くらいある寸胴のスカートを身体の線に合わせて巻くと、
余った部分をくるりと胴に巻く。
用を足す時はそれをヒラリと広げるのだ。

  彼方此方に水牛の姿が見られる辺りに来ると、船は頻繁に止まり出し、
一人一人、客を下ろし始めた。
標識等は当然無いし桟橋も無い。





 

自然のままのの川岸だが、土手の上の木陰に出迎えらしい人影がある事を見ると、
決まった停留所らしい。
美人で働き者の奥さんも、
傍らで鼾を掻いている亭主を突っつき起こすと、手を振り振り降りて行った、
素晴らしい笑顔を残して。

 もう、6時間も乗っている。
そろそろ我々の降りるところが気になり出す。
其処が終点なのか、途中なのかも判らない。
刺青の若者が、やっとのことで理解してくれたらしい。
時計の4時を示した、あと一時間だ。
河の分岐が次々に現れ、島島が出現し出した。
マンガ如きの地図で見ると、メコンが熊手のように広がり、
やがて、滝となってカンボジャに流れ落ちる筈だ。

着いた田舎港にはトゥクトゥクが無い!

「此処だ」



と言われ慌てて船を降りる、降りたのは我々だけだ。
ムアンコーンは街と言うより部落、四、五軒の民家と小さなお土産屋、
粗末な食堂、その食堂に腰を下ろす。 
冷えたビールが無い。

降りた所はメコンの川中の一番大きな島、コーン島の西端、
今日の目的地は島の東端のムアンコーン、ここから8km程有る。
トゥクトゥクくらいは有るだろうとたかを括っていたが、何も無い。
「ムアンコーンまで行ってやる、乗れ」
とオートバイの男が寄って来た。
二輪車に3人乗りは身の毛がよ立つ。
一人の男が、
「その内にトゥクトゥクが来るよ」
と教えてくれたような気がした。
どうしたものか決め兼ねて、暫く村をウロウロする。

50歩も歩くと村外れ、東に真っ直ぐ土の道が伸び、遥かに水田が続く。
村外れの万屋には僅かの日用品、煙草、薬草が並び、
ベンチで人の良さそうな親父が煙草を吹かしている。



 

煙草を買って親父の隣に坐る。
「何処から来た?」
「日本」
「好い天気だね」
「そうだね」
何語で話したか忘れたが、何とか話が通じるものだ。
「トゥクトゥクは来るの?」
「もうすぐ来るよ」
そんな話をしている内に、トゥクトゥクの音が近づて来た。


あわや野宿?

15000キップを14000に値切って走り出そうしたらエンジンが掛らない。
「急ぐ旅では無い」
一旦乗ったトゥクトゥクから降りる、
運チャンがあちこち弄りまくって、やっと、エンジンが掛った。
本当の、本当の田園地帯が広がる。
丁度田植えの時期、苗床の青が瑞々しい。
時々水牛が横切る未舗装の道を猛烈な勢いで走り抜ける。

土地が低いのだろう、時折、道いっぱいに水が流れる道を、
水飛沫を上げてトゥトゥクは走る。
エンジンの具合がおかしいと思ったら、水溜まりの真ん中でエンストだ。
長い間、セルの音が空しく響く。
野宿を覚悟する。



途中、二回もエンコしながら、兎も角、ムアンコーンの街に辿り着く。
運チャンが乗り付けたのは洒落たバンガロー風のゲストハウス。



白人が2、3人ウロウロしている。
25$を仲々値引きしない、未だうら若い女性だがしぶとい、
中国系? こちらもしぶとく粘って20$で交渉成立。
部屋に入ってACを入れてもつかない、
「約束が違う」
とごねると、
「すいません、ACは午後6時から12時までです。電力事情が悪いんです」
と顔を顰める。

つづく