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メコンに沿って(5)
コーンの滝 

兎に角、乾杯しようとレストランに駆け込む。
二人で唸り声を上げる。
迫り出した座席の眼下をメコンが音も無く、ただただ、ひたすらに流れる。 
向こう岸まで3kmも有るだろうか、時には渦を巻き、時には颯爽と流れるメコン、





「これぞメコン!」
二人でジョッキをぶつけ合う。





少しオーバーに言うと、
清水の舞台から眺めた京都の街が真っ平らなメコン、とでも言おうか、
その手摺に腕を凭れて、ビールを飲みながらメコンを眺める。 
これが有るから旅は止められない。

こんな景色を誰かに見せて上げたい、誰と誰だろう?
豊穣な女神の胸懐に居る、そんな感じなのだ。
3、40人の席は満席、印度系の美人が一人、後は白人、男女半々くらいか。
中年、子供も交じるが殆どが若者だ。
英語、フランス語、ドイツ語が乱れ飛ぶ、あとは判らない。

 



 



夕日が落ちると同時に
真っ黒な雲がメコンを覆い被さり、あっと言う間に夜の闇に包まれる。

稲光が川面を照らす、対岸に見える灯りは一つ、更に眼を凝らすともう一つ、
この広い視野の中で灯りはたったそれだけだ。
気が付くと星が出ている、そんなにクリヤーな空では無い筈なのに、
幾つかの星が光り、だんだん、数え切れなくなった。
夕闇の迫る前から、ただただ、メコンを眺めての2時間半だ。
明日の船ツアーは満員だそうだ。


メコンに飛び込む子供達

早朝、相棒が釣りから帰る。
暗い内から念入りにゴソゴソと支度して出て行ったのに無収穫の様だ。
朝日に輝くメコンを眺めていると、ビールが欲しくなる。
店の親父とツアーの交渉、
今日明日、船は空いてないが、トゥクトゥクなら午後有る、しかし、大滝だけだ。
15$で決定。
昨日、娘さんは20$と言っていたのに。

英語は巧い22歳の娘さん、既に遣り手婆さんの面持ちが有る。 
両替も、目が飛び出るほどの低率、
試しに近くのラオス人の店で換えたら、すこぶる率が良い。
ここも中国系が 気の好いラオス人の中で、一手に懐を暖めている感じだ。
この商魂では、次に来た時は、多分、ビルが出来ているであろう。
中学生位の妹はメンコイ、カメラを向けるとはにかんで、くるりと向こうを向いてしまう。



「ドボン、ドボン」
と音がする。 裸の子供たちが、木の枝からメコンに飛び込んでいる。



一寸大き目の女の子は下半身にスカートを巻いている。
飛び込む時に、そのスカートの裾を抑える姿が微笑ましい。

付近を散歩する。
古いお寺の境内に赤、青、黄色の花、どれも彩度が高い。





田植えをしている編笠の二人、顔を上げると、ハット とするような笑顔が覗く。







水田と民家の間に人の踏み跡だけある細い路地、水牛を曳く女の子と行き交う。
歩いてみると、結構、他にも何軒か宿がる。
木造りで全面に大きな窓の洒落たコーテージ風から、
いかにもラオスって感じの民宿風まで、民宿風の一軒を冷やかしてみる。
 ACが無く扇風機で15000キップ、随分と安い。 テラスには白人の若者が屯している。
夕方になると、こんな宿から例の舞台の有るレストランへ繰り出して来るのだろう。


凄まじいコーンの滝

小さな尖ったボートで対岸のハッサイクンと言う村の船着場に付くと、トゥクトゥクが待っている。
運転手の他に若者が三人。
少し走ると、奇麗に舗装された幹道、バクセーからカンボジャへの道が完成しているらしい。
  案内書には「死の苦しみ」と有ったが、ここも変化が早い。

一時間もして横道に外れると、滝音がだんだん激しくなる。
こんもりした広場、何軒か駄々広い茶店が並んでいる。
少し歩くと展望台、目前に凄まじい波しぷきを上げるコーンババンの滝。

 







音も無くトクトクと流れて来たメコンが一斉に怒涛を上げて流れ落ちる。
思ったほどの落差はないが、川辺の彼方此方から、うねり落ちる様は圧倒される。
男神の浮気に怒り狂った女神の形相だ。
脇道を辿ると、滝の雫を浴びるほどまで近付ける。



投網を操る男が激流に挑む、
岩と岩の間を渡した丸木に両手両足でぶら下り場所を変える。



傍らの岩陰には奥さんがじっと見守っている。
今日は不漁らしい。
やがて、男は、首を横に振り振りして上がって来て、私の隣に座り込むと、
「煙草を呉れ」
と言う仕種だ、最後の一本を上げる。
美味そうに途中まで吸うと男は半分を耳の間に挟んだ。
茶店に入る。 店の前に、1mもある大トカゲが繋いである。



「これを食わないか」
と誘われる。
相棒は舌なめずりをしているようだが、如何にも大きすぎる。
まだ、動いている鯰を焼いてもらう。
焼き立ての鯰とビールで最高の気分だ。

ハッサイクン迄戻る。
明日行きたいワットプーまでの情報を仕入れたいたいのだが、仲々埒が明かない。
入れ替わり立ち代り交渉相手が変わる。
長い時間を掛けてようやく理解で来たのは、ワットプーに行くには、二通り有る。
此処から陸路をバンムアン迄行って、船で対岸のチャンバサックへ渡るか、
もう一つは、対岸のムアンコーンから船で行くかだ。
要するに、車か、船かだ。

ところが車だと300000キップ、船だと150000キップ、えらく高い事を言う。
後で計算すると、それほどでもないのだが、○がこれだけ並ぶと嫌に高い気がする。
最初にいろいろ教えてくれた若者は英語が多少話せたが、今は傍観者になっている。
どうも、縄張りが有るらしい。

「20人乗りの船で一人250000キップだ、二人だから150000キップにしてやる」
計算に弱い私には150000キップがピンと来ない。
「おーい、150000キップは$で幾らだっけ?」
これが相棒の感に触ったらしい。
「お前、そろそろ$がキップで幾らか位憶えろよな」
更に向こうへ行ってしまう。
こちらもそろそろ頭へ血が上って来た。
相棒は向こうの方でチラチラ此方を覗いながら空を見上げている。 

渡りに船

そこへ、ガタガタと大きなバスが入って来た。
乗合バスらしい。
駆け寄って、運ちゃんに手振りで尋ねる。
「今日はもうスリープ」
と寝る仕種だ。
「明朝、7時出発、6000キップ、バンムアンには10時に着く」
それにしても、「渡りに船」とは、昔に人は巧い事を言ったものだ。

さっきまで、一生懸命我々を口説いていた男達は、
何時の間にか姿をくらましている。


宿へ帰って、
「ビール飲まないか?」
と言うと、
「別で飲む」
と出て行った。

別の店でビールをしこたま飲む。
ここも白人が多い。
凄い夕立が来た。
未だ若いが英語が堪能な主人、いろいろ情報を教えてくれた。
バスの便も結構有るらしい。
宿へ戻ると奴はもう布団を被っていた。


翌朝、清算して出てゆく相棒を、一応、見送る。
「気を付けてな」
「お前こそ」
午前中、のんびりと寝入る、やはり、一人は良い。

腹具合がおかしい、昨日、対岸で水牛の串焼きを食べた時、
暫く口の中が異様だった、そのせいらしい。

カメラの電池が切れた、何軒か捜し歩くが皆普通の単三だ。
市場に入り込む。
魚も蛙もまだ動いている。
2、3匹の魚を並べている人、南瓜を2、3個並べている人、倹しい商いだ。



宿の娘が典型的だが、
中国系の商いに較べこんなラオスの人々の商いは子供みたいなものだ。
益々格差が広がるのが眼に見えている。

日本人を一人も見ないが、宿の娘の話では結構来ているらしい。
日本で発行しているラオスの案内書が幾つか有るが、
ラオスの変化のスピードには追いつけないようだ。
バクセーからカンボジャへの素晴らしい二車線の道路など、まだ真新しい。
バスの便もキチンとしているらしい。

しかし、聞く人によって、バスの時間が
「6時」
「7時」
「6時半と7時と10時」
「6時、7時、8時」
様々だ。

隣の二人の外人女性が話し掛けて来た。
何回か見てる顔だ。
一人は印度人と見たが、印度とイギリスの混血だそうだ、
もう一人はイギリス人、 二人とも30前後か。

  

イギリス人の方はラオラオをチビリチビリやっている。
二人とも陽気この上ない。
印度混血娘の方は、整った鼻筋に、顔の大部分を占めるような大きな、
少し茶色がかった瞳がチャーミング、
しかし、時折、大きな口を開けて喉から絞り出すような高笑いは戴けない。

夕焼けが夕闇になり夕立になった。
凄まじい雨勢だ。
細い氷が並んだように屋根からメコンまで雨水が繋がる。
3秒から15秒間隔位に稲光、水の簾を通してメコンの川面が浮かび上がり、
向こう岸が見えるまでの明るくなる。
二人と話が弾む。 旅の話になる。
私があちらこちら旅ばかりしていると話すと、
「誰が家をkeepしているの?」
「カミさん」
「奥さん、満足しているの?」
二人はバンコクに住んでいるらしい。
印度系の方は歯医者さんらしい。
e−mailアドレスの交換をする。


豪快なイギリス娘

朝、宿賃を100$紙幣で支払う、何故か大きい紙幣を欲しがる。
バスの発車時刻を何人かに尋ねたがどうも定かでない。
最終的に理解したのは、6時発、7時発は対岸のハッサイクンから、
8時発はここムアンコーンから出てフェリーで対岸に渡る、だがどうも怪しい。

結局、少し寝過ごして船着場に着いたのは7時半、誰もいない。
近くの店で尋ねると、
「そこで待っていればバスが来る」
と教えてくれた。
怪訝に待っていると、だんだん人が集まって来た。
大きな荷物を背負った白人達に土地の人達も交じる。
食べてみたら、道端で子供が売ってたのは焼きバナナだった。



昨夜の二人もやって来た。 私が、
「8時にバスが来るの?」
と尋ねると、イギリス娘の方が、
「I think so,あっはっは」
豪快に高笑いする。
「何時に着くの?」
「I don’t know,may be tomorrow or not、
私にも良く判らないのよー、でも、なるようになれヨーよ」
と大きな肩をすぼめる。
冗談だか本当だか判らない。

やがて、重い車体を引き摺るようにバスがやって来たが、既に何人かの客が乗っている。
ここが始発では無いのだ。
バスは岸辺を斜めに叩き割ったような傾斜を降り、そのままフェリーへ乗り上げる。
三隻の船を横に繋げた、いかにもお手製のフェリー、
対岸に着くと、猛々しい音を上げて土手を走り上がる。
ここまでで一時間掛かっている。


「Denger Blasting」

時々、水牛がノッシノッシと歩く真新しい道路をまっしぐらに走る。
北海道あたりで、
「鹿に注意!!」
の看板を見るが、そのうちに、ここには
「水牛に注意!!」
の看板が立つに違いない。
たまに、
「Denger Blasting」
の看板、冗談では無く、一寸した茂みに入ると、今でも、地雷が有るのだ。

バスが止まる度に女の子達が窓に寄ってくる。



突然、車が停まる。 対向から来たバスとピッタリ背中合わせになる。
荷物を反対の車に移し出した。 乗り換えだ。 有無も無い。

車の中は賑やか、現地人が30%、あとはバックパッカー、昨夜の印度混血娘が特に甲高い。
ときたま、両羽両足を縛られて横たわっている鶏も騒ぐ。
私の足の方まで占領している隣のおばさんの荷物が時々ピクピク動く。
口を開けて見せてくれたのは袋いっぱいの蛙だ。
所々で客を拾い肩が触れ合うほどの満員になる。

外から見たらいかにも窮屈そうに見えるに違いない。
しかし、爽快そのもの、トラックを改造したがっちりした木の骨組みと天井、
窓は無くメコンの河風が何とも心地よい。
AC付き、AC付きと気にして来たが、メコンのバスはこれに限る。
もっとも、メコン沿いの、カーブも緩い高速道路並みの真っ直ぐな道路だからだが、
悪路の場合は、それこそ、死を覚悟だろう。

途中、ワットプーへ行くなら此処からという小さな村で降りかかったが、
トゥトゥクも見当たらない。
素通りする。
あっと言う間の4時間半、パクセー郊外のだだ広いバスターミナル、
ここで、真っ直ぐバンコクまで帰ると言う二人とお別れだ。

つづく