イタリア記2
フィレンチェ/フィエゾーレ

例によって、インフォーメーションへ直行。
駅から6分、ドーモから4分、絶好の立地条件のホテル、
ところが、仲々、見つからない。
地図で示された辺りの狭い路地を何回か行ったり来たりして、
やっと探し出す。
入れ口は通路だけの広さ、二階がホテルなのだ。
親父がタドタドしい英語で手を取り足を取り、部屋の説明をしてくれる。
ここで4泊する。

四重の窓を開けると、目の前がメジチ家礼拝堂、
余りに近過ぎて建物の全体が見えない。





目の下の小さな広場には皮製品と刃物の露店が開かれていて人通りが絶えない。
時々、挨拶してるのだろうか、大声が聞こえてくるが、
あとは連れだって歩く人の話し声よりも石畳の靴音の方が大きい、
そんな閑静さなのだ。
居心地の良い4泊5日になりそうだ。



まず、歩いて10歩ほどの「メジチ家礼拝堂」、
吃驚どころではない。
八角形の広い空間の周囲の壁一杯に大理石と宝石、象眼細工というのらしいが、
紫を基調にした装飾は独特の雰囲気に満ち、気品すら感じる。
君主礼拝堂と天井画。







君主の礼拝堂だけで一世紀、全て完成まで三世紀に渡ったという。
お金に糸目を掛けないで美を追求したのであろう。
しかも、メジチ家に凋落の兆しが見え始めてからの建築と言う。

ミケランジェロの「曙と黄昏」。
瞑想するウルビーノ公ロレンツォ2世の像、
「曙光」を象徴する女性像と「黄昏」を象徴する男性像。





「昼」と「夜」
力と指導力を示すジュリアーノの像、
「昼」の象徴の男性像、「夜」の象徴の女性像。





ここにはメジチ家代々のお墓があり、その石棺の上にある彫刻が、
教科書などでお馴染みのミケランジェロの「夜」「昼」「黄昏」「曙」、
苦悩と困惑の象徴とされる四つの彫像がこんなところにあるのだ。





今回のイタリアは当初計画外だった事もあり殆ど予備知識は無い。
tさんのイタリア旅行記での幽かな記憶があるくらいだ。
何処でどんなものに出会うのか想像も付かない。
これもブラリ旅の面白いとろだ。

雨になった、小糠雨だ。
宿に寄り、親父に両替の場所、傘、フィルムの買い場所を聞いて、
今度はドーモを目指す。
あっという間に、子供連れの男女のジプシーに取り囲まれる。
兼ねて教えられていた通り、手を上げて大声を出して追い払う。
気が付くと、キャデイパックのチャックが開いている。
ヒヤヒヤもんだ。



「ドーモ」、かってのフィレンチエ共和国の中心となった大聖堂、
昨日、ミラノ駅の外観に驚いたが、ドーモの威容も形容のしようが無い。
約三万人の収容能力、スケールの大きさばかりではない。
白、ピンク、緑の大理石の模様を幾何学的に配した建物の美しさがまた素晴らしいのだ。
当時の軍事予算はどうだったんだろう。
富の投資の方向の違いなのか、それとも有り余った富だったのか。
入場無料の内部のフレスコ画、レリーフも尋常ではない。
ドーモに隣り合って端麗な姿を惜しげもなく晒しているのが、
建築を志す士なら一度は眺めたいといわれる「ジオットの鐘楼」、

高さ82メートルのスラリとした優雅な塔は繊細にして豪華なのだ.。


























ドーモ博物館、
ミケランジェロの「未完のピエタ像」がまず眼を引く。
ミケランジェロ80歳の時、自分の墓のために製作したのだそうだ。





それ以上に眼を奪われたのがドナテッロの「マグダラのマリア」だ。






苦行で痩せ衰えた姿の苛酷なまでに、容赦ない
写実的な表現は眼を覆いたくなる。
ウンターリンデンの「イーゼンハイムの祭壇画」の「マグダラのマリア」とダブった所為かも判らない。
「聖歌隊席」の少年少女たち、



活き活きとした一人一人の表情を見渡していて飽きない。



彫金の一種のようだが、これはなんていうのだろうか。
精巧この上ない。

近くのレストラン、と言うかバーと言うか、に腰を下ろす。
ミラノのと同じ構成、奥にカウンターがあり、止まり木が6、7個並んで、
テーブルが3、4個ある。
スパゲッテーが美味しい。
ドーモとメジチ家礼拝堂の中ほどの通りに面しているこの店には、
次ぎ次ぎに客が出入りする。



可愛い女の子が一人で店を切り回しているらしくめまぐるしく動く。
イタリア人は怠け者が多い、とか変な先入観を持っていたが、とんでもない。
気持ち良いほど手際もよい。
思い切って、tさんのイタリア旅行記に有ったように、
「take-out ok?」
とやってみたら、ニコニコしながら、
サンド、ワイン、サラダにパンも付けて丁寧に持ち易くしてくれた、 31000リラ。




翌朝、7:00 鐘の音で目が覚める。
鳴りまくっている感じだ。

ウフィーツイ美術館、
これが今日のお目当て、10:00に列に並ぶ。
今日はたいした数ではない。
酷い時は2時間待ちとか。
並んでいる傍を、日本人の団体客がゾロゾロと通り過ぎる。
一組や二組では無い。
極端に言うと、
入場するまでの15分間に私の視線から日本人の姿が消えたことがない。



何処かの国と違って或る人数以上は絶対入れないから、
何処かの国と違って人の頭で絵が見えないと言う事は絶対ない。









何処かで観たことの有るような絵のオンパレード、
圧巻は何といってもボッテイチェッリの「ヴィーナスの誕生」と「春」、









これだけ見れば、フィレンツエに来た甲斐が有るというもんだ。
ヴィーナスの恥じらいと恍惚に満ちた表情に、うっとりと見入ってしまうのだ。

日本では絵と言えば、
私だけの浅学のせいだが、
例の印象派、モネ、セザンヌ、ゴッホ、ゴーガンといった連中とか、
ロートレック、マチス、ピカソ、ダリとかが人口に膾炙しており、
絵の価値も高いように認識してしまっている。
フランス、イタリアの美術館を廻ってみて、
それが錯覚だと気付くのは私だけであろうか。





ラファエロ、ジョット、リッピを始め沢山の、
それぞれに個性的なマリアに巡り逢えたのは大きな収穫だ。
ジョットのマリア、半開きの唇からチラリと覗く白い歯、
大きな潤んだ瞳に見つめられると、
フラフラと惹き込まれそうな魔力すら感じる。



リッピのマリア、怪しいまでに魅力的な横顔、情緒溢れる眼差し、
自由奔放といわれたリッピ、僧門に入ったり出たり、奴隷になったり、
17歳の尼僧に恋をして駆け落ちし最後は嫉妬に狂って奥さんを毒殺した?
そんなリッピの面目躍如だ。





首の長いパルミジアニーノの聖女も記憶の奥に収まる。



ミケランジェロの「聖家族」も此所に有る。
一つ一つ語っていたらきりがない。
ルネッサンスの神髄「人間の謳歌」が此所に屯しているのだ。

ダヴィンチのデッサンの部屋は何かの事情でクロスだったが、
ダヴィンチの代表作の一つといわれる
「三賢王の礼拝」「受胎告知」はしっかり見届ける。









なにしろ、ウフィーツイ美術館は4800の所蔵品があり、
常時、2500点が展されている。
世界最古の美術館と言われているが、
納得するまで見るには一週間が必要と言う。
コの字型の廊下の奥まった所がアルノ河に面していて、
アルノ河を挟んだフィレンチエの景観が開ける。
第二次大戦の末期、
この景観が破壊にまみれたとは想像もつかない。
3時間ばかり懸命に観ていたら流石に疲れた。

シニョーリオ広場でミケランジェロのダヴィデの複製像の前に腰を下ろす。













  


正直言って美術館巡りは少々食傷気味だ。
今朝宿の親父に何かコンサートでもないかと聞いてみたら、
親父、一生懸命調べてくれたが、
残念、昨日有ったから次ぎはフィレンチエを離れた後だ。

趣向を変えて、フィレンチエの郊外に繰り出すことにする。
フィレンチエの母と呼ばれているフィエゾーレを訪ねる。
オリーブの生い茂る丘、
豪華な別荘が立ち並ぶ坂道をバスで30分程上がると、
小さ広場が終点、降りたのは私一人、
広場に面した小奇麗なレストランで一服してから、
石畳の急な坂道を更に登る。
坂の途中で行き逢った尼僧がにっこりと微笑んでくれる。
「よくいらっしゃいました」



とでも言いたげだ。
坂を登り切ると可愛い教会に辿り着く。
可愛いと言っても14世紀の教会がそのまま残っているのだ。
此所から一望できるフィレンチエの街は、
何処かで観たことの有る眺望、そうだ、京都だ。
京都のようにすっきりした東山ような山並みは無いが、





四方をブチブチっと山並みに囲まれた盆地になっていて、
京都に比べて二廻りも三廻りもスケールは小さい。
これだけの土地に結集したあのエネルギーは何なんだろう。



坂道をはんたいに下ると、古代のローマ劇場、共同浴場、
神殿跡を含めた考古学博物館が広がっている。







円形の古代劇場の観覧席の石席に暫く座り込む。
4、5人しか居ない観光客も其処此所で佇んでいる。
いましも、
ドウランを塗った古代ローマの役者が舞台に駆け上がらんとしているような錯覚に捕らわれる。

夕方、日本酒の熱燗が無性に飲みたくなって、街に出る。
日本料理店は直ぐ見つかった。
白人の中年の夫婦連れが一組、あとは皆日本人客、
7、8人のツアーグループは男女半々、料理の品定めに終始している。
5人組は一人が喋り捲り、他の4人は全て聞き役に廻っている。
白人の夫婦連れの旦那の方は大分出来上がっている、赤鬼の形相だ。
もう一杯飲みたいのだろう、お銚子を持ち上げて、
「お代わり」と言い掛けると奥さんが袖を引っ張る。
「あんた、いい加減にしなさいよ」
ってな感じだ。
二人が出てゆく時、奥さんが私に笑顔を作って目配せする。
「もう、困っちゃうのよ、貴方も飲み過ぎないようにね」
ってな感じ。
そう言えば、何時の間にか私のテーブルにも大きな銚子が二本並んでいる。

今迄殆ど口をきかなかった5人組の一人が喋り捲っていた男に対し
「例の契約を... 」
と言いだした。
「.....言い切れるものが無いと話しにならないよ、でも、単位が判らないねえ」
途端に声が重くなった。

刺身 40、000リラ
燗酒 36、000リラ
寿司 18、000リラ
計 94、000リラ

高いのかやすいのか。

続く




   
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