アンコールワット記12
Kbai Spean
9時にロビーへ降りるとヘルメットを被ったカムヒヤ君、
「今日は私が案内します」
客の私は無帽だ。
シェムリアップの街を抜けると、
荒野の中を滑走路のような広いアスファルト道路を走る。
「この道は出来たばかりだ、この間まではあっちの道だった。」
と道路と平行な小川の反対側を指す。
信じられないようなガタガタ道がある。
変化の速度は速い。
しかし、見渡す限りの荒野、
日本人から見るといかにも勿体無い。
小川の水が涸れてる。
成る程、水の問題なのか、と一人合点する。
そのうちに水田が出て来た。
草を食んでる水牛の向こうでは子ども達が戯れている。
途中で給油、
幾つか村落を抜けて約40kmを1時間弱でバンテアイ・スデイの門前へ着く。
カムヒヤ君が時計を見ながら言う。
「先にクバール・スピアンへ行った方がいいよ」
それからの10kmの道が凄い。
直径が1mから5mくらい、深さが10cmから50cmの穴が無数にあく凸凹道、
勿論、舗装はされてない。
左右にジグザグしながら走る大きなバスを追い越す。
振り返ると、
「アンコール遺跡の旅」
の日本語の表示が張ってある。
何年か前にMr.Sが、
「バンテアイ・スデイへ車なんかで行けるもんかい」
と言っていたのを思い出す。
当時はもっと凄かったのだろう
今は乾期で物凄い砂埃、雨期だと物凄いぬかり道だろう。
機関銃の台座に座っている様な3,40分。
クバール・スピアンの入れ口は広い広場で観光バスが何台か止まっている。
カムヒヤ君が言うとおりに3$渡すと老人が先に立って歩き出した。
日本のツアー団体、オバゴンの一行は重装備の山姿だ。
薄の原っぱを通り過ぎると急な山道。
4,50分山登りするとクバール・スピアン、
「川の源流」を意味する。
アンコールの人々が神山と崇めたクーレン山の山懐を流れる渓谷、
その岩床に無数の彫刻が彫られている。
川そのものが遺跡になっている珍しい例だ。
この辺りには数年前までポルポトの兵士が住んでいて、
地雷も多く危険地帯だったとか、
今でも道を外れると危険らしい。
下部に規則正しく並んでいるのはリンガ。
真新しい盗掘の跡が生々しい。
此処には、この岩床でも屈指のヴィシュヌ神像が有ったと言う。
惨たらしい事だ。
案内のおじいさん、足元がおぼつかない。
歳を聞いたら私より若い。
別に案内は要らないと思っていたが、
行く先々で見所を教えてくれる。
言ってる事は判らないが要所要所を示してくれて助かった。
一人で出来たら見逃す所が沢山だ。
これらの彫刻を彫った人達はどんな人達だったのだろう。
自分の意思だったのか、強制されたのか、
いずれにしても、真摯なひたむきさを感じさせる。
今は乾期で殆どの彫刻が陽光に照らされているが、
雨期にはこれらの彫刻が流れの中に見え隠れするのだ。
左が中に小リンガを包む女陰、右が巨大リンガだそうだ。
アンコールワット平原に水の恵みをもたらす源流を神聖視したのだろう。
乾期でも水で潤う大きな女陰、無数のリンガ、
この間を絶え間なく流れる神聖な水、
生の根源を感じずにはいられない。
幾つか水中に揺らぐ仏像も見られる、神秘的だ。
雨期には川幅一杯の滝になるのだそうだ。
広場の露店で一休み。
大汗をかいた後のビールが美味しい。
立て続けに3本のビールを飲み干す私にカムヒヤ君は怪訝顔だ。
いつの間にかカムヒヤ君がハンモックに居る。
並んでハンモックに横たわる、最高の気分だ。
この遺跡へ来る観光客の半分以上が日本人だと言う。
最近、日本のTVで放映されツアーの呼び物の一つになっているらしい。
続く
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