アンコールワット記13
Banteay Srei

さあ、待望のバンテアイ・スレイへ向かう。





途中でカムヒア君のガールフレンドに会う。
久し振りなのか結構長い立ち話をしている。



その間に通りに面した民家を覗く。
アンコール時代と殆ど変わらない造りなのだそうだ。
立ち話はまだ続いている。

 

傍らの野原を散歩する。
可愛い花々が息吹いている。





土色の葉っぱと見たら、なんと触れてみると埃の層が出来ている。
不思議と花その物には土が付いていない。


さあ、いよいよバンテアイ・スレイの門を潜る。
「女の砦」の意味だそうだ。
アンコールワット、アンコールトムよりも2世紀近く前の遺跡だ。
例によってリンガの列のお出迎え。
彼方此方で日本語の声、日本のオバゴン達が群れを成している。







風化しきった石畳、サンスクリット語の碑文、
これらの碑文のお陰で眠っていたアンコール王朝の歴史が多く解明されたのだ。



砂岩で作られたばら色の壁、窓が異彩を放つ。
精細な浮き彫りに眼を奪われる。



さあさあ、終に「東洋のモナリザ」に御目文字する時が来た。
残念ながら周囲はロープで張りめぐされている。
ほぼ10m位の位置からしか見ることが出来ない。
デバターの部分部分を接写で撮ろうと勇んできたのに残念だ。





少しずつアップしてみる。





今にも枠から抜け出て歩き出そうな気配を感じる。



三脚が無いのも悔しい。
どうしてもピントが甘くなる。
後で気が付いたのだが撮影モードをFINEにするのも忘れていた。
それ程、胸が高鳴るのだ。



じっと見据える瞳、
この様な眼差しを受けて熱くならない人が居るだろうか。
しなやかな肢体、
優雅に添えられる指先にまで神経が行き届いている。



望遠レンズを使ってもこの程度なのが口惜しい。







この女神の顔面は少し損なわれているようだ。
ロープを張り巡らすのも致し方ないことなのかもしれない。











あのマルローが持ち出そうとして物議をかもしたのはどの像だろうか。
彼の行動の是非は兎も角、
誰もが見過ごしていたこの美しさを彼は美術、芸術の価値あるものと認識したのだ。
彼の行動によってバンテアイ・スレイの美が全世界に知れ渡ったのだ。





時の経過が醸し出す配色、
当時はどの様な色彩に彩れられていたのだろう。





















限られた角度からしか撮影出来ないのも極めて残念だ。
早朝、夕焼けの頃、光線の角度を換えて撮ってみたい。



なんと艶かしい肢体なのだ。



遺跡の周囲をぐるりと一周する。
規模は小さいが中身は想像を絶する素晴さだ。
強い日差しと風雨の中でこれらの遺跡は後どれだけの時間耐えられるだろうか。
その内に網ガラスに覆われてしまうのではないだろうか。
そんな矛盾を考えながら俯いて歩く。





未練たらしく何度も何度も腰を下ろし煙草を咥える。


帰国してからバンテアイ・スレイ関係の書物などを眺めると、
どうも肝心のデバターを一つ見逃している。
インターネットで探しまくり探し当てたのがこれだ。
これぞ「東洋のモナリザ」ではないのだろうか。
ハシムさんのご好意で掲載させていただきました。



ハシムさんのホームページ「ハシムの世界史への旅」はこちらです。
ホームページの構成、奥深い造詣、考察、写真の素晴らしさ等々、
その内容の充実さは私のホームページなど遠く及びません。
ハシムさんどうも有難う御座いました。

続く