アンコールワット3
天を突くアンコールワット

写真を撮り疲れて歩き出す。
東西1.5キロ、南北1.3キロ、兎も角広い。
クメール王朝の最盛期に30年も掛けて造った代物だ。
環堀の幅190m、その中に三重の回廊、
本殿中央祠堂を中心に五基の堂塔が聳える。





当時の工人達が命がけで造り上げた結晶が紺碧の空に光り輝く。
親方、設計士、絵師、塗装師、彫師、人夫達の息吹が聞こえてくるようだ。



丁度、蓮花の季節。



蓮池の向こうにアンコールワットの中心部が浮かび上がる。



天を突く階段を登り切ると第三回廊。



ひっそりした空間が広がる。
ここには四つの聖池があったらしい、
治水が重要な政治基盤だったのが頷ける。



柱や壁が朱色で塗られていた当時の面影が残る。
さぞかし豪華絢爛な宮殿?寺院?お墓?で有った事だろう。



柱、連子窓の造形が眼を引く。
これらの石組みの技術、美的センスは尋常ではない。





遺跡のあちこちで見られる連子窓、
単に採光や通風機能だけでなくデザインにも気が配られている。





何百年のも間、こんな密林に眠っていたのだろう。
1860年、
アンリ・ムーアと言うフランス人に発見されるまで、
僅かな地元民の土着信仰の場だけであったと言うがとても信じられない。



当時、アンコールワット朝はインドシナ半島中央部の大部分を領土としていたと言う。
としても、この巨大な建造物を造るには
それなりの強力な政治、経済基盤が必須で有ったであろう。









もう、凄いとしか言い様が無い。
幾つかのアンコールワット関係の本を拾い読みしてその謎が解けて来た。

やはり、自然の恵みだ。
温暖な気候、大平原、豊富な水、に基づく農耕栽培。
樹林からは自然の果物、植物、薬、家具工具材料。
そして湖からは豊富な海の幸。
加えて、雨風だけを凌げればよい住居環境。
適当な人口密度。
種を播けば収穫できる自然環境の中で
豊かな、おおらかな自給自足生活が可能だった。
その余剰の富がアンコールワット朝の形に集約したのだ。

 

第一回廊のに戻り壁画を観る。
東西200mx南北180mの四面に絵巻物が展開する。

 

古代インドの叙事詩「マハバータラ」「ラーマーヤナ」、
古くからインド文化が定着し
クメール人たちの心の支えになっている勧善懲悪の物語だ。
「天国と地獄」「乳海攪拌」等等、
ぐるぐる廻っているうちにどれがどれだか判らなくなった。

 

 



日本語のガイドがつばを飛ばしているのは日本人の落書きの前、
1632年に書かれた落書きが日本人相手の格好の見所となっている。
生々しい墨書、
鎖国令の敷かれるその時に、丁髷姿でこんな所まで来ていたのだ。
どんな目的で来たのだろう。
まさか、物見遊山ではあるまい。



後ろ髪を引かれるように引き返す。
浮き彫りの詳細にも未練が残るし、
デバターも十分に撮り切れていない、
朝夕、季節で姿を変えるであろうし。
何時か長期滞在してじっくりと取り組みたいものだ。

 

 

戻り口で花嫁花婿に出会う。
花嫁の横顔はデバターの様に福福しい。

続く