アンコールワット4
アンコールトム

約束の3時にロビーに降りると弟君が欠伸をしている。
「何処へ行きたいか?」
と言ってるようだ。
午前中アンコールワット歩き廻り、
あの急階段を登ったりで疲れが抜け切れていない。
「アンコールトム...........?」
もう何処でもいいから任せることにする。

検問所を通り、
午前のアンコールワットの脇も通り過ぎ軽快に走ると奇怪な門。
「ストップ、ストップ」
道の両脇に立ち並ぶ巨人像、
その向こうに車が一台やっと通れる入れ口、
これがアンコールトムの南大門と知ったのは後のことだ。



左に並んでいるのが神々、右手が阿修羅だとか。



この像達も一つ一つ違う顔をしている。
西安の則天武后の墓を思い出す。
規模こそ劣るが共通点があるように思う。



ここは陸橋になっていて、
陸橋の両側の巨人像がナーガ(大蛇)をしっかりと引き合う。
更に両側の環濠はたっぷりと水で潤っている



城門の頭部は四つの四面佛顔の観世音菩薩
ここが人間世界から神の世界に入る入れ口なのだ。



また、バイクに跨ると直ぐ次の遺跡、
弟君が例によって時計を指差す。
「何時に戻るか?」
一見すると、アンコールワットよりも大分小さな遺跡だ。



30分もあれば十分と、3時50分の針を示す。
弟君が何か喚いて自分の時計を示す。
なんと、今が3時50分だ。
カオサンで買った200バーツのカルチェはやはり200バーツだった。
と言う事は、
3時の約束の弟君を大分待たしたことになる。

さて、その遺跡に入るや否や驚かされる。
凄い浮き彫りだ、アンコールワットのよりも彫が深く緻密、
じっくり見てみたい浮き彫りがずらりと並んでいる。
当時の庶民生活が生き生きと描かれている。








時間を約束してしまったので先を急ぐ。
迂闊にも此処がバイヨンと知ったのはその時だ。




良く写真で見る巨像群が微笑んでるではないか!
これが第三回目くらいの失敗だ。
出掛ける前に、何処其処へ行くとハッキリさせなかった事を悔やむ。

中央祠堂へ登って悔やみも吹っ飛ぶ。
悔やんでいるどころではない。

目と鼻の先に乱立する四面観音菩薩像、

 

 

おおろかな微笑の中に、
満ち満ちた威厳、溢れる自信、包容力すらも感じる。
クメール王朝の全盛を謳歌しているのだ。



 

アンコールワットが12世紀前半の建築、
アンコールトムが12世紀後半から13世紀初めの建築、
たったの100年足らずだ。
代々の王は王権の神格化を城都造営の形で国民に示す、
これが不文律だったそうだ。
この地域だけで63箇所の遺跡があるという。
造営に次ぐ造営で国力が次第に衰え、
当時、南下途上にあったタイ族との戦いにも敗れ、
1431年にはクメール王朝はアンコールワットを放棄したとの事である。

 

 

 

兎も角、写真を撮りまくる。

カモシカのような黒人女性、
暫く、菩薩像との取り合わせ写真を狙う。
しかし、カモシカのように敏感で、
一寸カメラを向けようとするとこちらをチラッと窺う。
「一寸、写真を撮らせて下さい」
その一言が云えないのだ。

 

彼等の先祖が造り上げた遺跡群が子供達の格好の遊び場なのだ。
身なりこそ粗末だが、
大自然の恩恵を授かったクメール人の屈託ない明るい、おおらかな笑顔が其処にある。

 

ここのデバターはアンコールワットのものと聊か異なる。
より人間味を感じるのだ。

 

 

 

迷路のような回廊を右往左往して出口を探す。
やっと、表へ出ると、
すかさず弟君が寄って来る。
時間超過を詫びる。

続く