アンコールワット記6
Ta Kev

8時、直ぐ出かけ様と言う弟君に待ったを掛けた。
今日は、少なくも何処へ行くかだけは決めて行こうと思ったからだ。
弟君の指差す地図の上を丸く囲む。
Ta Kao-Ta Prom-Banteay Kdei-Pre Rup East Mebon-Ta Sam-Neak Pean-Preah Khan,

早朝のシェムリアップを抜けて、観覧権検札所、
こんなだだっ広い遺跡群、何処からでも入れそうなのに、
係員がしっかりとチケットをチェックする。
機能と同じルート、アンコールワットを左手に見て、
昨日右往左往した王宮広場を直角に右に曲がる。
勝利の門を潜って直ぐ左右に小さな遺跡、
「此処を見るか?」
と弟君がスピードを弛める。
今日廻る所との時間配分を考え、チラと見て素通りする。

Ta Kev.
名前の意味は「クリスタルの古老」。
造営途上で放置されたままの姿だ。
そのせいか、或いは意図的にか、
壁面装飾が殆ど施されていない。
それがかえって、一抹の静寂さを醸し出している。

この窓などはどのように仕上げるつもりだったのだろうか。



当時の石組みの手法などが垣間見られ
建築手法研究上は貴重なのだそうだ。

  

造営途上で放置された理由には諸説がある。
11世紀の初めジャヤヴァルマン5世が造成を始めたが、
王の急死により作業が中止された、
或いは、作業中に落雷があって縁起が悪いと中止された、
他の権力者によって王が放逐された、
とか諸説があるが最後の説が有力らしい。

11世紀初頭、アンコール王朝は王位継承で混乱したらしい。
世襲ではなく実力での王位継承だったのだ。

 

 
 






アンコールワット造成は100年以上後になる。
当時としては最大級の建造に取り掛かったのではないだろうか。
先述のように、
権力を握った王は王都と大寺院を建設し祭儀を執り行うのが義務であったのだ。
その義務を全うせず、
未完成で造営を放置せざるを得なかった王の無念さはいかばかりであったろう。

現在、世界中から肌の色の異なる人達が訪れ往時を偲んでいるのだ。

続く