扶余の巻1

「ちゅらさん」、エリーと文也君の感激的な再開を観ながら荷作り。
もう一度、慶州駅から街を振り返る。



何処からか日本の観光団がぞろぞろとやって来た。
どう見てもお上りさん、韓国人の群れの中で、
いかにも日本からのお上りさん振りが目に付くから不思議だ。

大田まで普通席が14000ウオン、特別席が16000ウオン、
2000ウオンの差しかないので特別席にする。
大田まで3時間弱、韓国の汽車賃は安い。





セマウル号、シート幅も広く快適だ。
隣の席は横文字の本を広げている女性、余りに熱心に読書に耽っているので、
話しかけるのを遠慮した。

大田駅のインフォーメーション、
ここも親切この上ない、若い女性が2人掛かりで、バスの発車場所、
扶余、公州のバスの便、行き帰りの時間、等々、詳細をメモしてくれる。

銀行で両替して、近くの店で腹ごしらえ。
ここでも「ビール」が通じない、丁君のメモで解決。
メニューの中から一番軽そうなのを選んだつもりが、
持ってきた料理、





5、60センチ径はありそうなお盆にいっぱい並んでいるのはいろんなキムチらしい。
さらに骨付き肉がゴロゴロしているスープもどきも付く。
折角だから、一口ずつ頂く。
美味しい。

覚悟して肉も突付く。
一寸食べ過ぎると、七転八倒の苦しみが始まる。
かって大好物であった肉類や鰻が特に危ない。
例の十二指腸穿孔手術以降の後遺症だ。
もう15年も経つのに、未だ、食事量の限度が掴めない、
体調もあるようだ。
だから会食が苦手だ。
皆がうな重をペロリと平らげているのに、
ただ一人笊蕎麦を啜っている姿は自分でもうら寂しいが、
周囲に気を遣わせてしまうのが如何にも心苦しい。

少しずつ箸を付ける私に、
おばさんが申し訳なさそうな顔で眺めている。

もう一度、インフォーメーションへ顔をだすと、
さっきの女性たちが、
「どうしましたか?」
と身を乗り出す。
今度は宿の相談だ。

彼女たちは何やら話し合っていたが、結論が出た。
彼女たちのお勧めはホームステイ、非常に興味が湧く。
たまたま、先方が留守だったが、
住所、電話番号、地図....等々、詳細にメモしてくれる。
韓国のインフォーメーションはグーだ。

扶余までは約1時間半、大きな都会、丘陵地帯の田舎町を
幾つか通り過ぎるが、標識が皆ハングル、
地図と睨めっこをしても、現在位置がさっぱり判らない。
幾つかの地図を持参しているが、ハングル、漢字、ローマ字、
の三通りが並んだものが無い。


扶余に着いて考えた。
ホームステイだと、食事は家族と一緒、なんて事が有り得る。
となると、私の小食、偏食は格好が付かない。
やはり、普通の宿にしよう、とバスターミナルに戻る。
売店のおばさん、全く言葉が通じない。
いろいろやり取りして、おばさん、私から案内書を毟り取ると、
老眼鏡を掛け、電話を掛け出した。
何人か来たお客の方は見向きもしない。
メモに地図を書くと、わざわざ、通りまで出て来て、
宿の方向を顎と腕で示す。
全く、韓国の人は親切だ。

お礼にビールでも買おうとしたが、ビールは売ってない。
咄嗟に買い物が思い当たらない。
おばさん、
「気にしなくてもいいよ、いいよ」
と言う風に左右に手を振る。

地図を頼りに歩き出したが、意外にゴチャゴチャしていて判りにくい。
キョロキョロしていると、食堂の前に居た男が大声を掛けてきた。
地図を示すと、
「そこを左に曲がって、右に曲がったところだ」
と言ってる様だ、いずれにしても直ぐそこだ。
目の前にビールが目に入った。
座り込んでビールを注文、人参のぶった切りがつまみに付いている。
「ありがとう」
と席を立つと、男が、
「俺について来い」
と言う風に先に立つ。
ものの5分もして、
「ここだ」

何かお礼をとポケットを探る。
吸い掛けのタバコを差し出すと受け取ってくれた。

案内された部屋、TV、冷蔵庫、空調、タブつき風呂、
申し分ない。
早速、シャワーを浴びる。


定林寺址、宿から近い。



扶余は北方から追い詰められた百済王朝最後の都だ。
大規模な伽藍の礎石が並んだ向こうに五層の石塔、







660年、唐・新羅の連合軍によって百済王朝が滅亡した際、
扶余の建物24万戸は焼き払われ、この石塔のみが残された。
唐将が石塔に刻み込んだ戦勝記念の文字が、1300年前を物語る。
1300年を経ているとは思えない石塔、石材は花崗岩だ。

礎石から見た伽藍の配置は奈良の飛鳥寺と全く同じそうだ。
百済文化の飛鳥文化への影響は想像以上に大きい。
日本には百済と名の付く地名、寺社が残っているが、
扶余には百済の名は歴史上しか残っていない。

石塔の裏側に石仏坐像、工事中の大きな建物に覆われているが、
誰の居ないのを幸いに中を覗き込む。



夕闇の迫る宮南池の畔を歩く。



百済の血を引いているかも知れない若い男女が腕を絡ませ、
ただただ水面を眺めている。
この池は慶州の雁鴨池や日本の古代庭園に影響を与えていると言われているが、
1300年を経て、華やかな宴遊を偲ぶすべも無い。

コンビニを探すが見当たらない。
何人かに尋ねて探し当てたのは、狭い階段を下りた地下のスーパー。
表通りを探していたのでは見つからない筈だ。

つづく
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