扶余の巻2

国立扶余博物館、
広い敷地に立派な建物、最近新しく移転されたらしい。



庭園のあちこちに点々と仏像、どれも良い顔をしている。






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日本語の案内ホーンを借りて一つずつ観て歩く。
屈指なのが、百済金銅大香炉、国宝である。


(パンフレットより複写)

頂上に鳳凰を配し、竜の彫物に支えられ、
蓮の実をかたちどった香炉、
楽を奏でる仙人達、山水、実在そして想像上の動物達、
狩をしたり、瞑想に耽る人物像、
これらが蓮花等の文様の中で渾然一体となって、
不思議な世界を醸し出している。
1993年の発見だそうだ。

先史時代からの高度な文化の存在を示す青銅器の数々、
百済時代の硯、便器、金細工の装飾品....




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どれもこれもが中国の博物館などで見るものに、
勝るとも劣らない技術の高度さを示す。

売店で筆が目に付いた。
他のものに比べて高価で有る。
実態は判らないが、見た目の出来は素晴らしい。
つい、手が出てしまう。


稜山古墳群、
日当たりの良い南向きの斜面に、
やや人工的ともみえる土饅頭型の墓が並んでいる。



扶余時代の王族の墓である事は間違いないようだが、
古くに盗掘に遭い誰々の墓と立証するものは残存していない。
ただ、古墳内部の壁画は残されていた。
多分、模写されたものであろうが、
東に青竜、西に白虎、北に玄武、南に朱雀らしき痕跡が見られる。



日本でも、明日香で同じような壁画が発見されて話題になったのは耳新しい。
強い日差しの中で女学生達が、じゃれ合いながらメモを取っている。


扶蘇山、
133年間、百済最後の王朝はこの一帯を中心として繁栄した。
最後の王、義慈王は即位当時はその覇気を以って新羅を圧倒さえしていた。
しかし、何年かして人が変わる。







飢饉に苦しむ民を顧みず、奢侈、豪華な宮殿を建て、
酒と女に現を抜かした。
迎日楼、半月楼の名前に当時の面影を残す。
これが百済滅亡の直接間接の原因ともされている。

強い日差しの中、日陰を選んで山道を登る。
今日は日曜日、韓国客も多い。





売店の前で一息ついていると、団体らしい一団が次々に通り過ぎる。
韓国もおばさん達、元気だ。
胸を張って、お腹を出して、大声で話しながら....

頂上を下っていくと、目前に錦江が大きく開ける。







足元が切り立つ断崖絶壁、
落城の際、追い詰められた官女3000人が次々に身を投じた。
「三千官女、花の如く落つ」
と語り継がれる落花岩だ。

落花岩を下り、船着場から観光船に乗り込む。
錦江から眺める落花岩、



色とりどりの衣装を纏った官女たちの天国への乱舞が瞼に浮かぶ。

現在の扶余は小さな町、端から端まで歩いて行ける距離だ。







ブラブラして、表に品物の写真つきの食堂へフラリと入る。
昨日からの歯痛で麺類しか食べられない。
ハングルでメモした品物を注文すると、
「これは美味しくないヨ」
おばさんは日本語を喋る。
おばさんのお薦めを注文、
ビールと一緒に例のキムチ、お新香が中皿一杯に付いてくる。
出て来たのは、半分がうどん、あとの半分が黒い味噌の様な物の丼物。



歯痛で賞味とはいかない、少しずつ食べていると、
おばさん、業を煮やしたのか、ツツツと来て、
「これはこうして食べるの!」
と掻き混ぜる仕草をする。

それにしても歯痛には参った。
今までの旅では経験無い、歯医者も怖いし....

つづく
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