ソウルの巻2

朝、何気なく立ち寄った店、
席に着くと、いきなり、お粥風の丼がデンと置かれた。
うどんでも、と思っていたので、持ってきた若者にモグモグ言うと、
入れ替わりに主人らしいのが出て来た。
「あんた、日本人ね。 
此処はこれの専門店、これしかないの。
この店は、○○放送、○○TV,○○新聞でも紹介されている。
日本でも、○○TVで紹介されたよ。
この粥は、何よりも栄養が有って、二日酔いにも良いです。
このパンフレットにも紹介されています」
日本語は日本語だが、それだけ言うと、クルリと戻る。
狐に抓まれたようだ。

恐々口にしてみる。
以外にあっさりしている。
黒いレバーの様なもの(後で知ったが、牛の血の塊)
やモツが野菜とグツグツに煮込んであり、柔らかい。
パンフレットを見ると、大きく紹介されている。
有名な店らしいが、名前を忘れた。
「ヘジャンクク」がスープの名前のようだった気がする。

地下道を潜って、観光公社のある筈の通りに出たが見つからない。
地図と磁石で確かめると、方角を間違えてる。
地下道を潜って出ただけで方向感覚が狂う。

観光公社は大きなビルの中、その地下に大きなスペースを占めている。
ここでも日本語の笑顔いっぱいの応対だ。
韓国の古典芸能が観たい旨を話すと、
運良く明日が公演日、貞洞劇場を紹介される。
歩いても行ける距離だ。

帰りがけに、ふと見るとパソコンが並んでいる。
何と、インターネット無料、とある。
時間を気にしながら、一寸、覗いてみる。
標示が韓国語なので判り難い。
開いたら文字化け、係りの女性を振り返ると、
直ぐ飛んできて直してくれた。
読み取りは、かなり高速だ。
中国では、一つの画面を出すのに、分単位掛かったが、
ここでは、日本で弄っているのと変わらない。

しかし、日本語の書き込み方は大変だ。
理由は忘れたが、慣れのせいかも判らない。


宗廟、
門前の広場は大きな舞台が拵えられ、人々が開演を待っているようだ。
今夜これから、何か庶民的な演奏会でもある模様だ。
門を入ると、門前の喧騒とは打って変わった静けさが訪れる。





ここは、朝鮮王朝の歴代王と王妃を祀ってある。
李朝を築いた李成桂もここに眠っている。

奥まった政殿、石畳敷きの広場の向こうに平屋建ての長い長い建物、





石畳に中央に、少し色調の異なる線状の石道、
たまたま、7,8人の日本人観光客を引き連れたガイドの声が聞こえた。
「この一本の線のような道は........
普通の人はこの線を踏んではいけません。
これを踏むと縁起が悪いのです」
運悪く、その線上を歩いていた私に視線が集まる。


宗廟の裏続きにある昌慶宮、





ここは王妃はじめ王族たちの住まいだったらしい。
更に広い敷地の中に数え切れないほどの建物が、
ある間隔を保ち、おおらかに立ち並ぶ。





写真を学ぶ学生たちが大きなカメラを担ぎ頻りにシャッターを押す。



 

広大な敷地に壮大な建物、鬱蒼とした緑の中に、
老若男女が三々五々のんびりと佇み、子供たちが跳ね回っている。





ここも、1592年の文禄の役で全焼し、1680年代に再建されたと言う。


タクシーで乗り付けたのは光化門、
韓国の表玄関とも言うべき景福宮の正門、
かって、この光化門は柳宗悦等の反対運動で危うく撤去を免れた。
その後の朝鮮戦争で焼失し、新たに再建された。

光化門の後ろに巨大なテントが張りめぐされている。
かっての朝鮮総督府の残骸だろう。

景福宮の敷地内に国立中央博物館、国立民族博物館がある。
今日のところは、中央博物館に絞る。

2階:
先史、原三国、高句羅、百済、伽耶、新羅、統一新羅
の部屋に別れ、韓国の歴史が整然と並んでいる。
百済、新羅は慶州、扶余、公州のおさらいだ。
目を惹くのが伽耶の部屋、鉄細工、銅細工が見事だ。
デザインにも他とは違った創造性をみる。
伽耶は古くから良質の鉄が産出され、
高度の金属技術を持っていたらしい。

1階:
高麗時代の青磁、朝鮮時代の白磁、
ただただ、唸るだけだ。
台湾の故宮でも唸らされたが、あちらのは華美を極め、
絢爛豪華さに度肝を抜かされたが、
こちらのは土の匂いがしてならない。
繊細な加工の中に生活への密着さを感じる。
もっとも、故宮にも汝窯のような単純だが奥深い物もある。
焼物の知識が少しでも有ったらと悔まれる。
以前から、興味のあった焼物に、また、興味が沸いて来た。
しかし、これ以上手を広げたら、散漫な知識が益々散漫になる。
生きている内に不老長寿の妙薬でも発見されないものだろうか。

地下1階:
ここでもまた唸らされるのだ。
金剛弥勒菩薩半跏像(左)、
美しい。

 
(いずれもパンフレットより複製)

永遠の微笑だ。
これは京都広隆寺の弥勒菩薩半跏思惟像(右)と、何かと比較される。
写真を並べてみても、類似点の多さに驚く。
いずれにしても、当時、想像以上の交流が有った事が覗える。



その他、個人からの寄贈の部屋、
いかにも眼識力の高さを垣間見る逸品が多い。

どの部屋にも、韓国、中国、日本の年表が並べられており、
時代時代の出来事、文化が比較できて興味深い。
日本の年表は、上部に広い空間があり、縄文時代とだけある。

閉館まで粘る。

つづく
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