ワットプー

地図を見ると、これも歩いていける距離にチャオプラヤー川がS字型にうねっている。
乗合船に乗ってみようと地図を頼りに歩き出した。

船着場を探すが仲々見つからない。
やっと探し当てたが、いろんな船が出入りして、今度はどの船が乗合船だか判らない。

急ぐ旅ではない、目の前のカフェでビールを飲みながら観察する。
手摺に寄りかかって船を待つ金髪娘の髪が風に靡く、
天秤棒を担いだ行商人風の女がやってきてベッタリと腰を下す。



大小様々な船がやってくる。 
客ではちきれそうな船がやってきた。
これが乗合船だ、大体が30分間隔位でやって来る。 上りと下りがある。
伝馬船にエンジンが付いた小振りなのが向こう岸への渡し船だ。
乗合船は100人位は乗れそうなやや大型。

時間を見計らって船着場で待つと、仲々やってこない、時間は有ってないようなものだ。
要領が分からないので他の客にくっ付く。
直ぐ、丸い筆箱のような物をチャカチャカ叩きながら乗務員が乗車賃の徴収する、6バーツ。









小刻みに船着場を止りながら、チャオプラヤー川の風を切る。
両岸には宮殿、寺院、大きなビルが次々に現れては消えて行く。
僅か6バーツのクルーズ、時間、場所の制約の無いこんなクルーズが最高だ。

 


入ってから判ったのがワットプー寺院、寝釈迦が素晴らしい。
大きな建物なのに、太い柱の間に横たわる釈迦は窮屈そうだ。

 

 

本堂、靴を脱いで入ると高い天井の空間、
その正面にそそり立つ黄金色の輝く仏像、
突然出っくわした光景に一瞬たじろぐ。
申し合わせたように、
「此所に入ったら坐りなさい」



と言われるわけでも無いのに、皆膝を折って広間に座り込む。
半分は一心に祈るタイ人、後の半分は、決められた矢印の順序に従って来て、
突然訪れた静寂に戸惑いながら、
周囲の人々に合わせて中腰で仏像を見上げたまま座り込む旅人達。
私も其の一人、半ば茫然と仏像を睨んでいると、
安堵感の様なものが身体中から沸き上がってくる。

辺りを窺うと、祈りを捧げる人に交じって、黙想している人、
まなこを大きく見開き仏像と格闘している人、じっと考え込んでいる人、
何処かで見た事のある風景、そうだ、カタツムリ、皆何かを背負っている。

隣に坐ったガイドさんらしい女性が私をつつく、
「足を投げ出してはいけません」
英語と手真似だ。
一寸のつもりが長居して居る内に何時しか足を投げ出していたらしい。

 

  

帰りはバス、空調が効いて寒いくらいだ、これも6バーツ。
「カオサン?」
と言って乗ったのが、下ろされたのは、カオサンの一寸外れだ。

帰りがけに何時もの店でビールとラーメン、
隣の席で会釈したのはこの間の女の子、今日は日本人男性と一緒だ。
「....です。」
調の話し振りからして、まあ、真面目そうな男だ。

何時もの路地裏を通り宿へ戻る。 両側に貧民窟のような民家が並び、
昼間は人通りも少ないが、夜になると安カフェのテーブルが所狭しと立ち並ぶ。
この間ヴィサラと此所を歩いた時、
「此所はアブナイヨ」
と彼女が言ってたが、タイ人の彼女がそういうのだからタイでも相当な路地裏なのだろう。







此所は懐かしい匂いが立ち込めている。
始めてオランダへ行った時、アムスの路地裏の匂いが鼻についてしまって、
その後の食事に苦労した事が有った。
東洋、と言っても中国、タイ、ラオスくらいだが、東洋の路地裏の匂いは苦にならない。
むしろ好きといってよいくらいだが、西洋の路地裏の匂いは好かない、死の苦しみに合う。
特にオランダ、ドイツ、イギリスは性に合わない、フランス、イタリヤは何でもないのに。
もっとも、変な路地裏の話だが。

つづく